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20歳になるまでに鬱病を2回経験した話。生真面目人間はなりやすい?


「死んでしまいたい。」

そう思ったことなんて今まで一度もなかったけれど、初めてその感情が出てきた瞬間はもう絶望だった。

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私が数ヶ月前鬱病と診断された時のことを記録として、
また、今も同じ気持ちで苦しんでいる人達に向けても少しでも共感・アドバイスになればと思い、まとめることにしました。

今はもう良くなってきていて、苦しいと感じる日も格段に減りました。

少々長くなりますが、興味のある方は最後まで読んでいただけると嬉しいです。


「鬱病」への認識


「そういえば、親戚の○○さん鬱病なんだって~。」
「あぁ~そうなのか。大変だなぁ。家に引きこもっていてばかりとも聞くしな、、いやぁ~、、汗」

この会話は、学生の頃、実家のソファに座りながら片耳から入ってきた会話だ。両親の会話だった。

その会話の時の両親の顔は、悪気はないだろうが、その親戚が少し”厄介者”なのではという表情を見せていた。


この時は私も、精神病がある人間が身近にいたこともなかったし、親戚の方もほぼ話したことがないし、ただひたすらに興味がなかった。

鬱病なんて、よっぽどのことがない限りならないだろう、私には遠い世界だな、なんて思っていた。

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初めては高校生の時


私は元々親の仕事の都合で転勤族だった。
(私が生まれてからは減っていたが)

福岡に生まれ、その後香港、静岡、福岡と家族と過ごし、今は1人で東京に住んでいる。(執筆時20歳)


私が初めて鬱病かもと感じたのは、高校生の時だ。

当時は、精神科などの病院などにも行かなかったし、鬱病という自覚はなかったが今思えばおそらくそうだったのだろう。


高校1年生までは、楽しく楽しく学校生活を送れていた。

クラスメイトにも恵まれThe高校生ライフを楽しんでいた。友達は多いような''気がしてた。''

友達に半分流されて入った吹奏楽部も、辛いことも多々あったが楽しいことのほうが多かった。

ただ、高校2年生の春頃、新しいクラスメイトとも仲良くできていたが、、
本当に突然学校に行けなくなってしまったのだ。

突然すぎるくらい突然だった。


この時の原因は確信的な出来事があったわけでもないのだが、ただひたすら「人が怖い」となっていた。
嫌な事があったわけでも、いじめられていたわけでもない。

まじで意味がわからなくて当時は沢山自分を責めたが、おそらく無意識のうちに人に気を使いすぎていたのだと思う。

私は元々、人一倍真面目で正義感が強く、自分では平気だと思っていても予想以上に人に気を使いすぎることが多い。

大丈夫なキャパじゃないのに、完璧を求めて大丈夫と言ったりすることが多かった。

また、人に少しでも迷惑をかけてしまった、と思った時は1週間くらい引きずっていた。
(部活に遅刻してしまった、体調不良で予定をドタキャンしてしまった、など大小含め色々)

恐らく私は「HSP」という気にしいの気質を持っている。


私は大好きだった学校も気付けば不登校になった。

優しく声をかけてくれたクラスメイトも沢山いたのだが、LINEを見るのでさえ怖かった。

家族含め周りの人間はとても優しくしてくれた。でも、家族以外の人間が怖かった。

毎朝お腹を下しトイレに3時間以上こもるのが日課。
次第に朝に起きることさえできず、自分の部屋で1日を過ごす。
寝たきりで、ベッドで泣きながら母親と「学校に行きたくない」と話したこともあった。体重も10kg減った。

結局、高校2年生の秋頃、全日制から通信制の高校に転校。

転校をしてからは、通信制の課題が多かったため勉強に専念し、たまにバイトもして、数ヶ月かけて回復。
高校を卒業した。

この時もこの時で苦しかった。

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20歳で鬱病再発・自殺も考えた


半分勢いで、福岡から東京へ飛び出すことが決まった。19歳。

この”のこのこ”というアカウントの活動を始めて、フォロワーさんが増えるにつれDMを通じてお仕事の話が増えるようになった。

当時、ゲームアプリのメールサポーターのバイトをフルでしながら、その傍らでライティングなどもしていた。

このnoteも含めだが、私は文章を書くのが好きだ。

昔から口頭で説明するのが苦手で、後悔することが多かった。
「どうしたら上手く人に伝えられるんだろう」と考え、文章に書き出して整理してから伝えることが多くなっていた。

Twitterをメインにのこのこの活動をしていても、「情景が鮮明に浮かぶ」「本当に文章が上手!」と褒めていただくことが多くなって、自信がついた。


ライターの仕事が増えていく中、取引先の1つから「もしよかったら東京来てうちに就職しないか?」と声をかけていただき、上京することに決めた。

とても嬉しかった。

最初は親に反対されながらも、就職の話をいただいてから4ヶ月後、東京へ飛び立った。


一人暮らしを経験してみたかったし、東京で暮らすというのも経験として良いなと思っていた。それに社会経験を積める。

「実家にいたらどこかで甘えてしまうかもしれない」という思いがあり、なるべく早く自立をしたかった。両親は尊敬しているし、早く立派になって恩返しがしたい。


結果的に、今このnoteを書いているが、この決断に私は後悔していない。

むしろ早めにドン底経験できてラッキーかも、とまでポジティブに捉えている。


知らない土地で、知り合いもほぼゼロ。
バイトとライターで100万円近く貯金し、東京の賃貸のたけぇ初期費用や家具家電で貯金半分以上使い、一人暮らしスタート。


最初はとてもキラキラだった。

色々な経験を積めた。会社でもあまりミスなくがむしゃらに仕事をした。
上司も同期も皆優しくて良い方たちだった。

「頼りになる」「期待している」「希望だよ」と言っていただくこともあり、その言葉をもらったときは、すごくすごく嬉しかった。

でも「もっと頑張らなきゃ」という思いも強くあった。

沢山色んな仕事をさせてもらえる中、妥協ができない性格なので若干プレッシャーや焦りみたいなものを感じていた。
スピード感のある会社だったため、早く成長しなければいけないと思っていた。


私を雇ってくださった会社にはとてもとても感謝しているし、申し訳ない気持ちも沢山ある。

ただ、私が自分の扱い方やコントロールの仕方、周りとの接し方を上手くできておらず、ある日突然電池が切れた。


「頑張りすぎていた」
「息抜きが上手くできていなかった」
という言葉で済ませばそれまでだが、私は自分自身を惨めに思うことしかできなかった。

情けなかった。



雨の日だった。

朝起きて、会社に行こうと支度をしようとすると、勝手に涙が溢れて止まらない。
立つとめまいと動悸がする。過呼吸みたいになった。苦しかった。

上司に休みの連絡を入れようとするが、手が震え1時間ほど文を送るのに苦労した。手足が氷のようだった。

状況を説明し、電話もできる状態じゃなかったため、メッセージで送った。

その後は死んだように寝る。スマホはしばらく見れなかった。

上司は優しい。
心配してくれて、労わる文章とアドバイスも送ってくださった。


そこからは、悪魔でも取り憑いたのではないかというくらい、毎日が暗くなった。
ずっと暗闇の中にいるみたい。明るくなることを許さなかった。


朝起きることができず、過眠と不眠を繰り返す。

ストレスで暴飲暴食し吐く。

毎日意味もなく涙が出て、めまいがする。

16~20時間ほど寝たり(起きようと思えず起きれない)、ご飯水を摂取せず動けない日もたまにあった。かと思えば暴食。

煙草の量も増えていた。

ただただ憂鬱な気分が何日も続いて、パソコンやスマホを見るのが嫌になり、とうとう上司や同期の連絡も取れなくなっていた。


そんな時に、大好きでたまらなかった実家の愛猫の突然の病死が重なった。
家族に毎日写真を送ってもらうほど大好きだった。
とてもショックだった。


もう日光や明るいのが眩しくて嫌で、真っ暗な部屋やトイレが落ち着くように。


この時はもう何を考えてもダメで、というか何もできなかった。

洗濯をしても服をしまえず部屋は荒れ、お風呂に数日間入ることができず、歯も1日1回磨くくらいになり、ご飯はカップラーメンや冷凍食品、Uber Eatsのみ。
お皿洗いもすぐにはできないため数日間同じスプーンを使い回した。

生活において当たり前のことも気力が湧かなくて、ベッドやソファで1日を終えることがほとんどだった。

※汚い話で申し訳ないです。リアルな記録のために残します。


髪はパサパサ洗顔も出来ずクマも酷く涙で目も腫れ、本当に「別人」みたいだった。

鏡に映っている自分は自分じゃないと信じたかった。


「私は何で生きてるんだろう。」

「こんなに弱くて惨めな私は今後生きてて何かあるのだろうか。」

「自分1人で自爆して馬鹿なんじゃないか。」

「死んでしまいたい。」

「人に迷惑かけないよう、消えてなくなりたい。」

こんなことばかり考えてしまうように。


冷凍のべちゃべちゃのチャーハンを泣きながら食べ、自殺について調べた。

色んな方法を調べ、悲惨さや後にかかる迷惑なども全部。
首吊りのシミュレーションを頭の中でしてみたり、一酸化炭素中毒で密閉の部屋を考えてみたり。
その後、自殺未遂をした人の体験談を読んで吐き気を催し、疲れて寝た。

なんだか、とにかく消えたかった。

こんな日々が1ヶ月続いた。

精神科に行き、薬をもらう。先生や看護師と目を合わせて話せなかった。
「鬱病」との診断書をもらい、会社に提出して1ヶ月休職することになった。


Twitterにも公言したため、心配や励ましなど温かい言葉を100通以上頂いた。
Twitterを見た友人たちも個人的にLINEを沢山送ってくれた。

それらに全部目を通し、沢山泣いたし感謝の気持ちでいっぱいだった。

ただ、友人数人に何度「会いに行くよ」「ご飯だけでも作るよ」などと言われてもなかなか気分が上がらず、何度も断る。申し訳ない。

1ヶ月家に引きこもり、誰とも会えなかった。
1人で外に出るのでさえきつかった。

手を差し伸べてくれる人がいるのに何も出来ない。とても辛かった。


休職期間が終わり、上司にどんな感じか説明しなければなかったのだが、当然働ける状態でもなく、会社を辞めることになった。

肩の荷がスっと降りたような感じがした。

そしてすぐにこのあとどうしよう、将来どうしよう、不安は絶えなかった。

しかし、鬱病を回復させることに専念しなければならない。
私は初めて鬱病と真剣に向き合うことにした。

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鬱病から回復するためにした10のこと


箇条書きで書きます。

①日光を浴びる
(外に出れなくてもカーテンを少し開けるだけでもOK)

②1日1個、どんな些細なことでも良いからしたことを褒める
(洗濯物を畳めた、外に出れた、など)

③なるべく外に出る
(5分でも良い。外の空気を吸う)

④散歩をする
(散歩すると、色んな植物や空に感動したりすれ違う人のことを見れる)

⑤マイナスな感情をメモに書き出す
(スマホメモでも紙のメモでもOK。結構すっきりする)

⑥植物を買う
(毎日の水やりでペットみたいな感覚になって孤独感がなくなる)

⑦YouTubeや音楽などで人の声を聴く
(外部のものに慣れる)

⑧おしゃれをしてみる
(おしゃれ覚えたての小中学生みたいなワクワク感がある)

⑨美味しいもの・好きなものを我慢せず、自分を甘やかす
(現状の自分を許せ)

⑩人に会って話をする
(1番エネルギーを使うが、1番エネルギーを得やすい)


これらは地味ですが、当たり前のことができないうつ状態の場合はとても効果的でした。

特に、「日光を浴びる」と「人と会って話をする」は良かったです。

日光は最初は避けていたけど、いざ勇気を出して浴びてみると心地よいものでした。

人に会うのも、とても効果があります。


ずっと気にかけてくれていた友人、最初は自分に余裕や自信がなく何度も会うのを断っていましたが、ようやく会えそうだと思い勇気を出して会いました。

家に来てくれて、深く事情は聞かず、ただただテレビを見たり相手の話を聞いたりお互い大好きな猫の話をしたり。

最後にハグをしました。

1~2時間ほど会っただけですが、相手が帰ったあとは自然と涙がボロボロこぼれていました。

また、相変わらずTwitterでも、定期的に励ましの言葉をくれる人が沢山いました。

「のこのこさんは沢山頑張っているし、今は休んでも大丈夫だよ。」
「あなたは私に持っていない魅力を持っていて、ずっと憧れて応援してきました。文章から溢れ出す人柄の良さが好きです。元気になって戻ってきてください。」

改めて人のありがたみを感じたし、人のエネルギーをとても感じた瞬間。

少しずつ頑張ろう、と思えました。


私はきっと環境的なことで言えば恵まれている。

周りの人に悪い人はいないです。
たまにアンチは来るけれど、もちろん私が悪い時もあります。

家族も学生時代の友達も今の友人も元職場の人もTwitterのフォロワーさんも、みんな優しいです。
関わってくれる人にはいつも感謝をしています。

だけど、自分のコントロールが鬼ほど下手なんだと思います。
自分を許すことが出来ず、責めてしまうことが多くありす。自分の嫌いなところが沢山出てくる時と、好きだなと思える時の差が激しいのです。

全部自分が原因なんだ、と。
そう思うけど、たぶんそう思っちゃいけないんだろうね。

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鬱病になって思ったこと


鬱病は誰でもなり得ます。

特に、人より真面目だったり完璧主義だったり気にしやすいタイプの人は、自分1人で抱え込みやすいのでなりやすいと思います。


でもさ、そんなこと言っても頼れなかったりするんですよね。

周りの人は私によく言います。

「何かあったら頼ってね。」
「1人で抱え込んじゃだめだよ!」
「何でも話聞くからさ。」

何百回と言われた言葉。

いや、ありがたいんですよ。ありがたいんです。
でもそれが出来ていたら苦労してないんですよね。難しいですよね…。

結局、「ありがとう。大丈夫だよ。」としか言えない。


頼ることが難しいなら、自分の中の意識を変えよう。

自分の根本を変えるってなかなか出来ないことですし、必ずしもそこを変えなければいけない、というわけでもないと私は思います。

物は考えようで、自分がマイナスだと捉えていた部分が、他の人から見たら羨ましく思えたりもしますし。

例えば、HSP気質の人は人の心を読み取るのが上手だから相談・仲介役が上手。空気が読めて滅多に人に嫌われない。など。
良い面を見つけ、自分を受け入れることが大事です。


※ちなみにこういう周りに頼れなさそうな人には、「何かあったら頼ってね」という言葉より、「ねえ今度ご飯行こうよ、話聞かせて」というストレートな解決策のほうが良かったりします。個人的な意見ですが。



私みたいな人間は、この先人より何倍も何倍も悩んで苦しむと思います。

時には、理解が得られず人を傷つけてしまうかもしれない。呆れられるかもしれない。

でもそうなることが分かっていることで、きっと気分がラクになると今は思うのです。
自分の心の中の”負の感情”がなんなのかわからないまま進んでいるととても怖い。

ですが、今回の鬱病なった経験で、この先同じように苦しんだ時も「あ、またうつの時期が来たのかな」と先を読むことができて、また回復の方法を試し、そうやって試行錯誤して上手に付き合っていけるのです。



回復をしてきたと言っても、今はまだやりたいことやしたい仕事などあまり熱が入りませんし、夢や希望なども特にないですし、つまらない人間かもしれません。

そんな自分でも、少しずつ変わろうとしていて、自分の意思で動いて、自爆しても自分で立ち直ろうとする姿は褒めてあげたいし、自分のことを誇りに思います。というかそう思いたいです。

「生きる理由」とかも無理に探さなくていいし、誰にも迷惑をかけない”なんとなく”ならいくらでも抱えていいんだ、と気づきました。

鬱病になる前やなっている時は、人と比べたり自分の嫌いな部分が沢山ありました。みんな、私にないものを持っていると。

でも今は、「自分くらいは自分のこと好きでいてあげよう。」と自分を大切にしようという意識が芽生え、今の自分が好きです。

ないものを数えるより、あるものを数えたほうが幸せになりやすいよね。



精神病は、なった人にしかわからないことも沢山あります。

そしてTwitterで公表してから気づいたのですが、精神病を持っている人は意外と身近にいるし多くの人がかかっています。
(「実は私も今鬱病で休職していて」や「もう僕は10年近く再発繰り返しているので」などのDMが多数来てた。)

心の中の部分だから見えないしわかりづらいけど、実は身近にいるかもしれない、ということを頭に入れておきたいですね。

「人」を怖がる私が、「人」によって助けられた部分が大きくあるし、最終的には精神病患者自身と周りの人たちによってそれぞれ人生は大きく変わるはずなのでね。


長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

頑張って、ゆっくり、生きたいと思います。

みんなも一緒に頑張ろうね。

そして、支えてくださった方々ありがとうございました。


のこのこ(@nokochan1224)でした。



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