【37日目】転勤族の嘆きを聞いてくれ!
朝日が綺麗だった。
今日は仕事に行く日だ。
お弁当も作れたし保育園も機嫌良かったし順調だ。
仕事も普通に終わって、なにもかも普通に当たり前の日常だった。
母から返信がこなくなった。
あの浮腫んだ手を考えるとだいぶしんどいんじゃないかな。
帰ってからTV電話をするとまん丸の顔をしている母が出た。
膀胱炎になってしまったみたいで、訪問看護師さんに来てもらって薬をもらったそうだ。
まだご飯は変わらず食べれているみたい。
パパの象足はだいぶ良くなってきたけど、ぱんぱんに腫れて皮膚が伸びたからか血流が戻ってきてるのかなんだかよくわからないが、今度は足が痒くて痒くて大変そうだった。
見るからに肌がボコボコになり痒そう。
ちなみに肌の色は赤黒くなってまだ戻ってない。
人間の体はすごいなぁ。としみじみ思った。
冷やしてみたりムヒを塗ってみたり…
転勤族と結婚してからいつも
『遠いのに…近くにいたら…』
と言われ続けてきた。
確かに遠い。
だけどこれだけ発展した今そこまで遠いのだろうか。
この言葉を言われるたびに遠くにいる私が悪いかのように責められているかのように思った。
労っているつもりなのかもしれないが、そんな遠くに引っ越したから…私なら絶対いかない。と言われているようだった。
旦那が鹿児島に配属になった時、まだ結婚を前提に付き合っている時だった。
鹿児島に行くと言うと、いいじゃんと言う人は誰1人いなかった。
遠いね。大変だね。聞き飽きた言葉だ。
結婚式でもそうだった。
引っ越した年、友達の結婚式が多くてたくさん東京に帰った。
その時の手紙やら最後のムービーやらなにかと、「遠いのに来てくれてありがとう。今度そっちに遊びに行くね。」ばっかりだった。
その言葉を見るだけで感動してた気持ちは
一瞬で冷めた。
読む気も失せた。
確かに今私は物理的に遠くにいるかもしれない。
すぐに飲みに行ったり会ってお茶したりできない距離だけど、それまでの何年間もの楽しかったことを全部無くして家が遠いことだけを言われている気がして寂しかった。
私は家が遠いけどお祝いしに来たよー家が遠いけどわざわざ飛行機乗ってきたよーなんて思ってないわけで、ただ友達の結婚式をお祝いしたくてきてる家が近い友達と同じだと言う事。
だから何もかわりなく普通のエピソードがほしかったのに、全て家が遠いことに持っていかれてしまう。
今回も家が遠くてすぐに会いに行ける距離じゃないのに…小さい子供がいて飛行機大変なのに…みんなに言われた。
もちろんそうだ。正論だ。
だけど行くよ。何回だって。
遠さや大変さは関係ない。
労いの言葉が私の心には浸透しないでゴミとなって積み重なっているような気がした。
転勤族じゃない人を選べばよかった?
親の近くにいてあげたら幸せだった?
遠くにいたら親不孝?
私は自分で選んだ。
そして大分が大好きになった。
大分に来てから地球は美しいと思ったし、子供達ものびのび暮らせて私はストレスなく子供達と遊べて毎日本当に幸せを感じていた。
朝起きたら朝日と自然を見て感動し毎日朝日が見たいから早起きをするようになり、嫌いだった雨が降っても緑が美しいと思えた。
もちろん転勤族だからいつか大分を離れる時が来るけど、九州に来てから関東に戻りたいと思うことはなかった。
母は私が結婚した時はすでに体調が悪く、いっくんが産まれて遊びに行ってもほとんど遊べずベッドで寝ていた。
いまだにお母さんがご飯を作ってくれている友達家族もありながら、
誰にも頼ることなく夫婦2人で子供達と楽しく過ごせてるのは環境がよかったからだ。
海外にいたらこんな毎週来ることはできなかったかもしれない。
だけど私は日本にいるし、会いたい人にはすぐに会いに行ける。
つまりもう遠い事を聞くのは飽きたんだ。
いつも私の感情を無視して遠い事をだけを言われるのがもう嫌なのだ!
もっと違う労りの薬を考えて欲しい。
私が今苦しんでいるのは家が遠い事じゃない!
母が死ぬことに苦しんでるんだ!
悩みの種ではあるけどそこは自分で考えるし、助けてくれるなら飛行機代をくれ。
そうじゃないならそこは放っておいてくれ。
とまぁこんなこと言えないけど、
私はずっと思っていた。
なんかみんな私が思ってることといつもズレてんなって。
つまり私にとってそんな遠いことは問題じゃないってこと。
悲しんでる論点が違うんだよなぁ。
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