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【エッセイ】笑いは神である

 子供を育てるということはとても大変なことだが、そこには育てる親の想いをのせる楽しみもある。そして、その想いがどれだけ成長しているかを感じながら生きていけるのも、親としての醍醐味だ。

 わが家でも、子供たちに色々な想いをのせて育てた。
『誰にでも優しくあれ』そして『困難に打ち勝つ強さを持て』など。

 そういった幾つもの想いの中に『いつ何時でも面白くあれ』というものがある。『笑いは神である』だからこそ、笑いに敏感であり、貪欲であれと。

 この一風変わった私の想いは、彼らの成長と共に確実に育っていった。
幼少期は、お笑い芸人のモノマネ。小学生の頃には、ボケやツッコミを覚え、中学生になるとオチのない話には容赦なくツッコむようになった。

 一括りに笑いといっても得意分野はそれぞれで、宇宙人も驚くようなボケをかます長男(彼の場合は天然ボケとの噂もあるが……)、そして誰もが見逃してしまいそうな小さなボケも必ず拾って笑いにつなげる次男、最後につまらない話は『悪』だと言わんばかりにキレッキレのツッコミをかます末娘。三人とも自分たちの魅力を最大限に発揮している。

 先日も、わが家ではご法度の『オチのない話』を通常業務のようにした夫に、長男のビックリするようなボケ、それにツッコむ次男、大トリは末娘。罪人を裁くが如くオチのない話をした夫をバッサリ。その一連の流れの中で絶えず笑いが起きていた。

 わが家でこんなことは日常茶飯事だが、常に思うことがある。
 笑いというのは幸せの象徴だと。つまらないと思う毎日でも笑える何かを見つけることが出来たら、それはもうつまらない毎日ではない。

 例え辛く悲しいことがあっても、笑いさえあれば乗り越えられえるだろうとも。もちろん、子供たちに辛く悲しい日など一日たりともないことを願うが、もしそういう時が来たとしても、いつものように笑いで乗り越えて欲しいのだ。

 それが私から彼らへ贈る想い『笑いは神である』だから。


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