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夢帰行18

仁志の後悔3

清美の姿が見えなくなってから、しばらく 病院の中庭のベンチに腰を下ろしたまま空間に目を落としていた。
残暑の西日が当たり、湿った風に包まれ不快感を感じだしてから、ようやく重い身体を起こし立ち上がった。
中庭から、小児病棟二階の窓を見上げてみた。
あの窓の向こうで今も遙は息苦しそうに寝ているのだろうか。
清美と代った義母さんが、白い衛生服に身を纏い、遙の側で背中をさすり、少しでも痛みや苦しさを和らげようとしているのだろうか。

ゆっくり歩を進め、冷房の利いた病院内へ入り、ロビーへ向かった。
そこに自分を待つ姉の幸江がいることは分かっていた。
仁志と遙を会わせるお膳立てをした姉は、その目的を果たした後の今、仁志に何を尋ねてくるのか。
仁志は、遙と清美の現状を認識しただけで、感情の整理がついていない。
第三者なら『可哀想』とか『大変』とでも言っていれば、同情しているようにみえるだろう。さらに『辛いよね』とでも言えば、その立場を理解しているようにも聞こえるのだろう。
しかしそれはすべて他人だから言える言葉。

仁志は頭の中を掻き回して、乏しい知識の中から言葉を探してみたが、自分の感情を表現する言葉が見つけられずにいた。
重病の子供の親という立場にいる人は、他人以上の言葉でその感情を表せるはずだが、仁志には当事者意識がようやく芽生えて来たばかりで、清美のように落ち着き、覚悟を持った振る舞いは出来なかった。

別館から本館ロビーに向かうと、もう数人しかいない長椅子の片隅に姉の幸江が背中を丸めて座っていた。
仁志が近づき一人分空けて横に座ると、仁志の顔も見ずに幸江が言った。
「遙ちゃんと会えて良かったんじゃねぇか」
それは仁志に対してではなく、まるで自分自身で納得しているようだった。
「ああ」
仁志は幸江の発した言葉の意図を知る由もない。

病院を後にした仁志は一言も話さずに、タクシーの窓からただ流れて過ぎていく景色を見るとは無しに眺めていた。
姉の幸江は、これからのことを話そうとしているが、仁志が全くぼんやりした様子だったため、話すのを止めてしまった。

慌ただしい一日が終わろうとしている。


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