見出し画像

夢帰行6

奈津子が部屋を後にして、しばらく経ってから姉の幸江が病室に戻ってきた。
幸江は奈津子がいないのに気付くと、
「あの人は帰ったんか」
「あぁ」
「清美さんな、遙ちゃんの具合が悪くなってからすぐ店の方に連絡したんだけど、あの人が何にも取り次がなかったらしいな。お前知ってんのか?」
「あぁ、電話があったことは聞いてたよ。二回くらいだろ」
「何回かは知らんけど、随分素っ気なく冷たくされたらしいぞ。そんで店長さんに直に聞いて、やっと入院してるって知ったらしいんだな。」
「それで知った訳か」
「あぁそうだ」
幸江は、病室の他の病人に気を遣いながら、小声でいながらしっかりと聞き取れる喋り方だった。
仁志は母親に小言を言われる子供と同じようだった。

「あの人と一緒になるつもりはねぇんだろ? 何も遠慮することはねぇんだぞ。父親が自分の子供を見舞うのに、誰に遠慮する必要がある。」
「清美さんもひと目だけでも会ってやって欲しいってお願いしてたんだ。もう二度と会えなくなるかもしれねぇんだしな。可哀そうに」
幸江は眼鏡をはずし、瞼をぎゅっと瞑り、目頭を抑えている。
仁志は天井を見つめながら、遙がベットに寝ている姿を思い浮かべた。

ぷっくりとした頬と仁志に似てぱっちりとした眼。
やや開き加減の口元は緩く、よだれがちだったため涎掛けが欠かせなかった。背丈は標準だと言っていたが、それは二年も前のこと。
今は四歳になっている。
標準的な四歳がどういう行動をするのか、仁志には分からないため、遙の現状を想像できないのだった。

「分かってるよ。一度は行くつもりだったし、退院したら行ってみようと思っていたんだ。」
「退院できるか看護婦さんに聞いてみたけど、夕方になれば先生と話できるらしいんで後で聞いてくるよ。事情話してな、何とか許しをもらってくるべ」
幸江はハンカチで目頭を押さえながら、うんうんと自分で納得しているようだった。

その後、幸江はずっと仁志の病室にいた。
看護婦さんに土産物の菓子を出して咎められたり、隣の爺さんや付き添いの婆さん、病室に出入りする人すべてに腰を低くしてぺこぺこと挨拶して回るなど、落ち着きなかった。
仁志は天井を見たままその様子を黙って伺っていた。
仁志の母親は高齢で産んだためか、その後の体力を失い病気がちだった。
気付いた時には、家のことはすべて姉がやっていたような記憶がある。
小学校の入学式も幸江に連れて行かれ、それからはいつも家に居たようだ。 
家の家事をすべて賄っていて、外向けのお付き合いも母親に代わってこなしていたのだろう。
いつも腰が低く、こういう場での挨拶や、礼を尽くすことに積極的だ。
都会では、むしろ必要のないことであっても、幸江にすれば母親代わりに知り得た知識で対応しているだけのことだった。
仁志はその様子を「変わらないな」と思っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?