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「急に具合が悪くなる」ってどういう意味なの?

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哲学者が書かれた『急に具合が悪くなる』という本、あまり本を人におすすめしたくないわたしとしても、おすすめしたくなる本です。

とくにこのコロナ禍の中で、奇妙な不安に襲われている人に、ちょっと一読してみて欲しい、気もします。でも変に不安になっていただきたくもありませんが。

抱腹絶倒なところもあれば、妙にもの悲しくもなる本でした。私はこの本を読んで、ますます「未来を読めない私たちの未来を読みたくなるクセ」について考えさせられたのです。

私たちは、確率という数字の中で生きているのではなく、火曜日の夕方六時から講義が始まるとか、五月一九日に学会があるとか、そういう具体的な予定の中で生きているからです。その中に「急に具合が悪くなる可能性」を入れ込むとはどういうことなのか。

自分がガンの宣告でもされてみると、このことの迫真性が感じられるはずです。医者は、決してウソをいっているわけではない。しかし、実際には何も言っていないに等しい話でもあります。

さらにさらに!「急に具合が悪くなるといけないから」といってイベントを取りやめ、当日何も起こらなかったらどうしたらいいのでしょう。「何も起きなかったけど、もしかしたら起こったかもしれないから、やらなくてよかったね」、そう思えばいいのでしょうか。

わたしは「未来予測」にまつわる話を見るにつけ、このフレーズが頭をよぎるのです。つまり私たちは「予定」を立てるに際し、実はなにも考えていないか、努めて考えないようにしているのです。

まさにこの著者も書いているとおり、「急に具合が悪くなる可能性がある」のはなにも、重病を宣告された人に限った話ではないからです。高いか低いかの違いがあるだけで、実は誰にもあるはずです。

だって、そもそも、私たちは「死」の「今」を経験することはできず、いつだって未来に「死」はあります(それはハイデガーも指摘しています。)たしかに未来の死は確実ですが、しかし、なぜ、その未来の死から今を考えないといけないのでしょうか。それではまるで未来のために今を使うみたいじゃないですか。いつ死んでも悔いのないように、という言葉は美しいですが、私はこの言葉にいくばくかの欺瞞を感じています。

こういう「今」のとらえかたは、本当によく提示されます。「未来」のために「今」を使う。「お金のある未来」のために「今は節約」する。そういうのが本当に多い。「欺瞞」とはまさにこれで、本当にこの種のことには驚くほど多くのウソがつまっているものです。

嘘八百から八億くらい詰まっています。

未来から現在を逆照射するようなやり方がうまくいかないのは、実は「未来像」がウソだからです。考えるまでもなく当然のことではあります。未来とは、わたしが今やっている空想だからです。空想を実像だと思ってそっちから今を照射しているという構図じたいが空想なのです。

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私自身について、ここ以上に詳しく書くところは、ありません。

かなりプライベートなことや、半生をふり返って、いちおうの「情報」と考えられることを書いていきます。