生まれて最初の「英語のクラス」のテスト
教科書を読んでいさえすればいい。
というのが定着しつつあるスタイルだったのだが、教科書を読むだけで単位が取れるはずはない。
ただ、あとから振り返ってみると、教科書を読むだけの私がいちばん勉強していた。そういう意味では、それだけで当時の私は単位を取ることができるべきではあったと思う。
けっきょく、テスト勉強したり、レポートを書いたり、口頭試験を受けたり、プレゼンしたりするのは、準備を膨大にやっていたわりに、「私のため」になっていたかどうか、疑わしい。
テストしなければ私が何をしているのか、外から知るべくはないからテストはさせられる。それは当然だ。しかし、それが理想的であったかどうかは疑わしいということだ。仕方がないが、ベストのやり方ではない気がする。
最初のテストは「在宅テスト」だった。これは後から考えると非常に有り難いものだった。辞書つかい放題だからである。
テストは、かなり難しかった。しかし、「英語で答える」ことに比べれば、ものの数ではない。私は5年の留学を通じて最後まで
心理学研究そのものの難易度よりも、つねに英語の問題の方が難題だった。
たしかに、「バナナを食べようとしたとき、食欲が湧くと仮定して、脳と神経の観点から、当人の心理的変化を答えなさい」という質問は、難しい。日本語で考えても、難しい。日本の大学で、こんなに難しいことを、私はやってこなかった。