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この子はどうしてこうなんだろう・・・?

「行動科学」というのは確かに分かりやすく、アメリカ心理学の世界をまたたく間に席巻していったのも、よくわかる。

とくに留学中に、これでもか、とハトだ、ラットだ、幼児だのビデオを見ていると、

「これでいけるじゃん!」

と思ってしまいそうにはなる。たしかに生き物は褒美に弱く罰に弱いものである。褒美がもらえることを繰り返すし、不快な罰は回避する。これを「教育心理学」でいち早く取り入れられたのもうなずける。

ひるがえって「フロイト心理学」などはどうかというと、なんだかサッパリわけがわからない。とはいえ私に「行動科学」を教えてくれた教授は、この連載で書いたとおり「精神力動学」つまりフロイト主義的な訓練を受けてきたはずの人であるが。

ただ、思いっきりシンプルにしてしまえば、こうなるのだ。

ここに、すごく落ち着きがなくて、他の子に乱暴ばっかりしている小学生がいるとする。

この子どもと両親の間に、幼いころになにかあったんだろうか、といぶかしく考え出すのがフロイト的。

この子どもの脳になにか障害があるんだろうか、と考えて、できればMRIとかに突っ込みたくなるのが、脳科学的。

過去になにがあったかはどうでも良くて、とにかく落ち着いてしずかに勉強したらドーナツあげるようにすれば「いい子になるよ!」というのが行動科学的だ。

どれかが「正しい」なんじゃなくて、やれそうなことは全部やったらいいのじゃないかと、たいてい私たちは考える。少なくとも私がアメリカで習ったときには、本当にそうしているかどうかはわからないが、すべてのアプローチを試してみるのが「理想的」とされていた。

つまり、脳を検査もするし、おとなしくしていたらご褒美あげる教育もやるし、経済的な余裕があったりそのつもりがあるなら「カウンセリング」もうけられる。

ただ、「脳の問題」については、調べてなにも出なければ、とりあえずそこで終了するしかないし、ドーナツあげる方針と、過去の出来事を調べる方針は、いろんなところで衝突している。

「未来志向」の人にしてみれば、「過去になにがあったかは大事ではなく、ドーナツで「良くする」ことができるならいいじゃない」となるだろうが、「過去を気にする」人がしばしば予見するとおり、「そんなことをするとかえって手に負えないことが起こる」こともある。

人間はハトではない。膨大な記憶を持っている。過去に親から虐待されたりしていれば、その「記憶」に大きな影響を受けてものを考える。

「先生からドーナツをもらう」というのはなんでもないことのようだが、「だったら、学校でドーナツもらえるんだから、家ではおまえにやる食事はないからな」と言って、家計はぜんぶギャンブルに突っ込む親だっているのだ。

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かなりプライベートなことや、半生をふり返って、いちおうの「情報」と考えられることを書いていきます。