カンザスシティ9.11
私の留学先はアメリカ合衆国、ミズーリ州にある、アビラという聞いたこともない大学だった。
たいていの人にとってこの地図を見ても何の感慨もないだろうが、私には懐かしさと隔世の感がある。私がこの大学に訪れた2001年当時、カタカナ表記はいっさいなかった。
そうかあれは、ギリシア正教会だったのか! あそこら辺は「ヴェローナヒルズ」と呼べばよかったのか! あの聞き取りにくい道の名前は何のことはない「オークストリート」だったのだ!
2001年といえば、9.11である。私がこの大学に入ったのは、2001年8月中旬のことだった。
受信トレイには、「日本へ帰ってこい!」というありがたいメッセージであふれかえった。私は友達などまったくいないと勝手に思い込んでいたのに、思いのほか私のことを心配してくれる親友はたくさんいるようだった。
それらのメールメッセージに、せっせと「フラグ」を立てていった。我流のGTDを実施していたのだ。めったにメッセージをくれない女の子のメールにはレッドフラグ。メールをよこすのが趣味ような男友達のは青フラグというように分けておく。
もちろんレッドフラグは「緊急タスク」である。
レッドフラグを立てておいた人には、フラグがあろうとなかろうと、メールをことごとくあっという間に返信し終える。そして青フラグを立てておいたメールには、返信する気が起こらない。
ワタシはとても忙しかったのである。いつでも目の前には、800ページを超える、「一般心理学」の教科書があった。全文英語で書かれている。8月中旬にアメリカに来ておきながら、9月11日になっても、まだ10ページも読んでいない。
私のToDoリストには、
□教科書を30ページ読む!
というタスクがずっとある。メールに返信している場合ではないのである。赤フラグのメールは別だが。
とても不思議なことが起こっていた。