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全頭処分という選択

  一年ほど前、豚熱が発生した畜産事業者の全頭処分に立ち会う機会があった。もともと殺生が苦手なので、数分も立っていられないのではと懸念したが、殺処分の瞬間を直接、見ずに済み、一日を何とかやり過ごすことができた。

 鳥インフルもそうだが、発生するたびに全頭処分、全羽処分という言葉がヘッドラインニュースに並ぶ。豚熱は強い伝染力かつ高い致死率が特徴で、治療法がないため、他の畜産事業者への影響を最小限にとどめることが狙いだというが、以前から、その選択肢しかとれないのかと疑問に思っていた。

 それまで気にしたことがなかったのだが、殺処分の現場に立ち会ったことで、スーパーに並ぶ食材の中で、鶏肉や豚肉のグラムあたりの単価が魚介類に比べ非常に低いことに気付いた。薄利多売のビジネスモデルが、より感染症対策を困難にしているのだと思う。

 SDGsだけでなく、コロナ禍によりもたらされた教訓の中にも、これまでの大量生産・大量消費型の経済システムの在り方に警鐘を鳴らすものがあったはずだ。鶏卵を含め、日本の畜産業ももう少し丁寧に育て、一頭あたりの単価を上げていく時期にきているのではないだろうか。そう、例えば、全頭処分などと簡単に判断できないくらいのレベルまで。もちろん、そのためにはまずは消費者が変わることが前提だ。

 今回、全頭処分が決まると給餌が行われなくなることも初めて知った。最後くらいお腹一杯食べさせてあげられないのかと思うのが人情だが、エサの節約ではなく、殺処分に向けて体力を落とさせることが目的のようだ。力みなぎる個体が抵抗すれは、殺処分する方の体力がもたないということか。当然、私が目にした個体たちも数日間飲まず食わずで放置されていたため、至る所に鼻をこすり付け、食べられるものを必死で探し回っていた。

 体力が落ちているせいもあるが、ほとんどの個体は豚房から殺処分の現場まで容易に誘導されていく。しかし、中には最後の最後まで誘導を拒み、鳴き声を張り上げて抵抗する賢い個体もいる。数日の様子から、ただ事ではないことを感じ取っているのだろう。豚の共同体でもあれば、きっとリーダーになっていたに違いない。その個体の最後の短い叫び声を聞いた時、なんとか平常心を保っていた胸の奥がきしりと痛んだ。

 あの日以降、いつものスーパーではなく、少し足を延ばして、飼育環境や育て方で評価の高い生産直売業者の豚肉を買いに行くようになった。もちろん、スーパーより単価は高いが、殺処分の列に並ぶあの日の彼らの目を忘れるわけにはいかない。飽食の時代を生きるヒト族として、軽く扱われてしまっている命の価値を少しでもあげていく手助けになればと思う。



 

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