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一人一人のSDGs

 今から20年以上も前に、ケミカル系企業に勤める知人に悪戯心で環境問題の話題を振ったところ、「世の女性たちが美の追求をやめれば、地球環境はずっと良くなる」と返され、呆気にとられたことがあった。

 その時は嫌味な奴だと深く考えもしなかったが、コロナ禍の人流・物流の抑制が大気汚染の改善につながり「インドでは数十年ぶりにヒマラヤが見えた」とか、「水の都・ベネチアでは、観光客用のボートが運休して運河の透明度が増した」といったニュースに触れ、とうに忘れていたはずの彼の言葉を思い出した。

 個人的にSDGsには関心があり、プラスチックごみの減少やフェアトレードにつながる消費行動などを心がけてきたが、コロナ禍を受けて、「本当に必要なものは何か」を考える時間の中で、自分自身、ますますもってサービスや情報、さらには人間関係まで断捨離を加速させているように思う。

 つまりは、「足る」を「知る」ことなんだと思う。自粛生活が要請されるまで国内外を飛び回り、たくさんの人とつながり、それが自分のアイデンティティなのだと思っていたが、市外にも出かけず、職場と自宅を往復するだけの二年間でも、生活を整えることで毎日健やかに、そして面白おかしく暮らしている自分がいる。

 コロナ禍をへて、世界の人々にどこまでの行動変容が起きるのか、それとも起きないのかはわからない。でも一人一人の「知足」が、地球規模のSDGsを達成するために必要なのではと思う。「もとどおりの日常に」ではなく「あるべき姿に」、それがコロナ禍から与えられた宿題ではないだろうか。

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