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インド生活回想記〜日常生活

インドはバザールや商店街などの小さな店は定価というものがなく、買い物する際は交渉をする。

もちろんショッピングモールなどは定価なので面倒なことはない。

インドでは美味しくてやすいマンゴーや果物や野菜が路上で売られている。

しかし旅行者だと思われると高く売ろうとする。

いつものインド人おばちゃん客ならマンゴー1キロで30ルピーくらいで売るのに旅行者には倍以上の値段をつけてくる。

私はわざとインド人おばちゃんに、このらマンゴーいくら?と聞いてみた。
親切なおばちゃんは値段がわからないからマンゴーを売っているおじさんに聞いてくれた。

そして私はインド人用の値段でマンゴーを買う。

この作戦は大抵の場合は成功した。

夕方の商店街でピアスやブレスレット、ネックレスなどを眺めているインド人女性
痩せた水牛。今でも重たい物を運ぶのに水牛の力を利用している。

道路は水牛、牛、ロバ、車、バイク、リキシャ、オートリキシャ、タクシーなど何でも通行している。

マンデイマーケット

クリニックのそばの広場は月曜日になるとあちこちに露天が出る。
スニーカーもサンダルもTシャツもグチャグチャにシートの上に放り投げたように置いてある。

1月のある日、いつも路上に立ちインド特有のジャラジャラキラキラのブレスレットを売っているおばあさんの様子がおかしい事に気がついた。

アパートからアーユルヴェーダのクリニックまで毎朝徒歩で行くのだが、その時にいつもそのお婆さんがそこにいるのを見て知っていた。

おばあさんは立ちながら鼻水を垂らしている。目はずっとつぶっている。

明らかに死の気配を感じた。

翌朝通ってみるともうおばあさんはいなかった。

クリニックの窓からマンデーマーケットの端の片隅に何かが青い養生シートでグルグル巻にされてあるのが視界に入ったが特に気に留めていなかった。

それから1ヶ月後くらいに、クリニックの上にあるカフェの人が「いつも路上に立ってブレスレットを売っていたお婆さんが死んで遺体をしばらく養生シートにくるんで置いてあったんだって」と言うのを聞いて何故そんな事になったのか頭の中が整理できなかった。

インドのカースト制度で最下位はシュードラ(奴隷)そのカーストにさえ入らない人は不可触民と呼ばれる。
インドの文化的にはホームレスという言葉は適さない。

シュードラの女性は各家庭を回って竹箒で床を掃除したり、皿洗いをしたり、洗濯をして少しばかりのお金をもらう。

インドの一般的な中流階級の家庭はもちろん掃除機も洗濯機もある。

しかしシュードラのために掃除をさせてあげるのだ。

スナック菓子や石鹸やシャンプーなどを
売っている小さな商店で買い物をしていると、小さな子どもが来てお金をくれと手を出してくる。

その時にはお金をあげちゃだめだよとデリーに8年住んでいる日本人のYさんにおしえてもらった。

裏でインド人マフィアがシュードラの子どもたちを使っているのだそうだ。

子どもが取ってきたお金は全てマフィアが没収してしまう。

だから何か買う時についでに子どもには食べ物を買ってあげて、それをその場で子どもの口に入れてやって…

子どもたちはいつ食べさせてもらえるかわからないから…

しかし子どもたちもしたたかなので、食べ物を与えてもまだお金もちょーだいと言ってくる。

私はだんだん付き合い方がわかってきたので、毎回は食べ物を与えないようにした。
3回に1回くらい買ってあげてあとの2回は「ナヒーン(ダメ)」とビシっと言うと諦めるのだ。


インドではお酒を飲むことはあまり良いことだと思われていない。
女性には特に厳しい。

そしてレストランで酒を出すにはライセンスが必要でそのライセンスは高く警察とのコネが必要だ。

インドは何でも警察にお金をウラで渡すことで物事が進むようになっている。

酒屋さんもとても少なく町に1軒くらいしかない。

夕方は満員電車の中のように酒屋が混む。

ある日、日本人宿での集まりがあり、ワインを持参するためにその酒屋に買いに行った。

店内は私以外は全てインド人男性…
皆で私を睨みつけている。
女のくせによくノコノコと酒屋に来たなとでもいいたげな表情だ。

次回 酒屋に行くならインド人男性の誰かに一緒についてきてもらって方が安全だと思った。

クリニックの昼休みは近所にあるゴールデンカフェというネパール料理屋によく通った。

モモとライムジュースとスープでたしか300ルピーもしなかったと思う。

エベレストカフェもランチ時に何度か行った。
エンチラーダという名前はついていたが味付けはインドスパイス味。
もともと期待してなかったし安いので許せた。

しかし螺旋階段は極狭で一段一段が高くて危険な階段…だからエベレストカフェなんだよと勝手に思っていた。

近所にケーキ屋さんがあったのでいくつか買ってみたが見かけは派手に違うのに味はほぼ同じだった。
もちろん水が飲みたくなるほどの激甘。
しかし一方ではスーパーマーケットではヤクルトが売られている。

味は日本のヤクルトと同じだか、インド 人ファミリーの写真というのがなんだかおもしろいと思った。

デリーでは南インド料理の店が少ない。
北インドよりあっさりめで北とは違う辛さの南インド味が時々食べたくなった。
そんな時はホテル・サラバナバワンに行って食べた。
ただの食堂なのに何故ホテル・サラバナバワンなのかは謎だった。

休みの日はショッピングモールに出かけたりすると巻寿司を買って帰った。
寿司と言っても完全にベジタリアンで魚は全く入っていなかった。

インド人家庭でお世話になった時は、ほぼ毎朝お婆ちゃんが次から次へとチャパティを焼きそれをチャイと一緒に食べる。
焼き立てのチャパティは本当に美味しかった。

このインド人家庭は西側 ムンバイ側なので北のカレーとはまた少し違う。
豆カレー、様々な野菜カレー、じゃがいものカレーなど夕食には3種類くらいのカレーとご飯と自家製カード(ヨーグルト)と自家製ギー(バターから不純物を取り除いた黄金色の油)、ライムなどで食べる。

ある日、日本から運んできたパソコンの調子が悪くなり修理屋に運んだ。

いつ取りに来たらいいかと聞くと今日の夕方以降に…

パソコンを取りに行き、その場でパソコンがちゃんと作動するか確認…
OKだと思い持ち帰り、部屋でスイッチオン…すると全くダメだったので即刻、店に引き返す。

店主の男性は不機嫌そうにパソコンを受け取り明日取りに来いと告げた。
翌日、夕方取りに行きチェック後、問題は解決済と思ったらまたダメ…
3往復させておいて多分ボッタクリ料金取られて直らないなんて仕事の後で疲れていて心の中は泣き怒りの状態に追い打ちをかけるように店主男性はなおらないことにキレて大声でわめき始めた。

しばらくしてまたなおす作業に取り掛かり最終的にはなおったものの店主はキレた後に力の抜けた様子で小さな声で持って帰っても大丈夫と言った。

インド人的な怒り方というのがあって、興奮してキレるとそこら中の人に聞こえるほどの大声でわめき、自分より目下の従業員の若い男性向けにはバシッバシッと叩いたりする。

若い男性は頭や顔を直接叩かれないように手で防御するが、気がおさまるまでは叩かれっぱなしだ。

そしてどの街にも必ずやあるのがアーユルヴェーダ薬局だ。

日本の漢方薬局がどの街にもあるようにインドではアーユルヴェーダ薬局がどこにでもあり、総合病院や大学病院にも内科、耳鼻科医、小児科…そしてアーユルヴェーダ科がある。

インド人も日本人が漢方薬を使う人もいれば使わない人もいるのと同じようにアーユルヴェーダを使う人もいれば、そうでない人もいる。

しかし基礎化粧品においては日本の資○堂や○ーセーという誰もが知っているブランドとおなじようにアーユルヴェーダブランドがゴロゴロある。

私的には本当にアーユルヴェーダの基礎化粧品は優秀だと思う。

調べると日本でもいくつかは購入できるようだが、あのお値段でこのクウォリティと感心してしまうインドの基礎化粧品がもっと購入しやすくなるといいのになあと思い出すたびに残念だと思う。

デリーから地下鉄に乗りグルガオンに行った時にKAMAというアーユルヴェーダの基礎化粧品の店に行った。

店内はインドの王宮のようなイメージ、男性店員たちはインドの王子様をイメージする衣装で出迎える。
購入した商品をそれはまた華やかな袋に詰め、その上から柔らかな薄いピンクやグリーンの紙を載せ、薔薇の花びらを散らしてくれる。
このようなプレゼンテーションにはとても驚いた。

これはイメージ写真だが、実際は更にきらびやかな衣装の店員さんたちだった。

多分もうインドで生活することはないが今でも脳裏にははっきりと様々な光景が焼き付いている。

こんなnoteもやってます。よかったら見てください。


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