15年前の私に手紙を書くとしたら
ちょうど15年前のこの季節、私は学校へ行けなくなってしまったのですが。
なんだかんだ言って15年という月日は長いようで短かったように思います。
「不登校」にならないために、自分の心を守るためにその当時、私がこうしていたら、ああしていれば、なんて“たられば”はいつの間にかなくなっていて。
結局生きていくということは、挫折と妥協の連続なのかもしれない、と思う今日この頃…少しは大人になったのかな?
正直なところ、当時の自分にかけられる言葉を今の私に言えるのだろうか、と思ったり。
今よりもずっと繊細だった私に、今の私は何を言えるのだろうか。
そんなことを前置きに記し、考えながらも綴ってみようと思います。
* * *
15年前の私へ。
こんにちは、15年後の私です。
うそ、生きてるの!?と思ったと思うけれど、生きています(笑)
不登校になって、
きっと今は「今」を一日一日、一秒一秒生きるのが精一杯で
たくさん傷ついてきたことによる心と体の不調が辛いよね。
自分の気持ちに嘘をついて、ごまかすことばかり得意になっていったあの頃を思うと今でも本当にくるしい。
心の傷は治療にとても時間がかかるし、後遺症も残ります。
だから、不登校になった今は「終わり」ではなく、始まりです。
自分の心、気持ちと向き合う旅の始まり。
あなたはこれからたくさんの人に出会って、温かさを感じることもあれば
悲しい思いをすることもあります。
その度に揺れ動く自分の気持ちを大事にしてほしいと思います。
多分今の私が想像している以上に
あなたは必死に生きています。
苦しいのは
しんどいのは
死にたくなるのは
あなたがちゃんと生きようとしているからで、
そうしてきてくれたおかげで私は15年生きてこれました。
そう思うと大嫌いだった自分の顔も、愛おしくなるし、
そんな私のことを愛してくれる人にも出会うことができます。
前向きなお別れも、悲しいお別れも経験するけれど、きっとそれが私を強くしてきたと思っているし、そうだと信じていきたいと思っています。
そして、いつの日か今まで当たり前のことのように感じていた家族や、繋がり続けてくれたお友達の存在の大切さにも気づくことになると思います。
「自分だけが一番つらい」と思ってしまうのは、ごく自然なことだと思うけど、あえてネタバレすると、みんな一緒に苦しんでくれました。
今わからなくてもいい、いつかわかる日が来るから。
笑いたくない時に笑っちゃう、愛想笑いの癖はまだ治らないし、
結局不器用な私のままだけど。
私は、不器用なりに頑張って生きてきた私のことが大好きです。
嘘みたいな話だと思うと思うけど、全部本当のことです。
今は不安でいっぱいだと思うけど、
その不安から逃げないでくれてありがとう。
※不登校時代の記事はこちら↓
P.S.
15年後の私も今、追い込まれる日々に疲れちゃって
少しゆっくりしながらまた元気に働けるように頑張っています。