アンジェリー

秋平の掃除婦・アンジェリーの逞しさ

 インドは超分業制で、工事業者が全く掃除をしないのは、掃除婦の仕事を奪わないためである。と言うお話は前回のこちらから。

ここでは、秋平の掃除婦・アンジェリーについて。

 彼女は秋平の開店前からウチで働いてくれている、いわば“秋平の創立メンバー”である。前までは、秋平一号店の向かいにある小さいショッピングモールで、他の掃除婦に混じり、彼女らと何ら変わらぬ掃除婦人生を送っていた。

 彼女の人生が狂ったのは間違いなく、秋平のインド人取締役・サティシュがアンジェリーを秋平へ引き抜いた時からだろう。アンジェリーは他の掃除婦の例に漏れず英語が全く喋れず、タミル語オンリーの生粋タミルガール。でも他の掃除婦と違うのは、何にも臆さずコミュニケーションを取ろうと、明るく振舞っているところである。

 そのおかげもあって、僕とアンジェリーは毎日楽しく“会話”をしていた。僕らには共通言語がない。でも僕らは確かに“会話”をしていた。彼女の一生懸命“何かを伝えようとする姿勢”を見習い、僕も必死に彼女の言葉を理解しようと努めた。僕の今のタミル語力を培ったのはまぎれもない、アンジェリーのおかげである。

 彼女は基本「Coming」って英語と、本当に少しの英単語だけなら分かる。だから「ちょっとお茶飲み休憩行ってきていい?」も「アンジェリー、チャイ、カミン!」となる。これで僕は「あ〜、行っておいで〜」と、理解できるようになっていた。アンジェリーも頑張って日本語を覚えた。「ありがとう」と「さよなら」、「いらっしゃいませ」や「お待たせしました」が言えるようになった。

 僕がどうやってタミル語を覚えたのか。例えば「Come here」の「インギャバー」と「Go there」の「アンギャポー」。これは割と最初の頃に覚えたタミル語。彼女が店内を掃除しているとき、座っている僕に対して「ジョー!アンギャポー!」と、よく言われた。「アンギャ」が「あっち」で「ポー」が「行け」だった。(上司に「あっちいけ!」とは中々のフランクさだ)

 「カールウッパー」もよく言われた。「カール」が「足」っぽい。「ウッパー」は「上」っぽい。そこで、足を上げて「ジョー、カールウッパー?」って質問すると「そうそう!」みたいな感じで答えてくれて、僕の足元をモップがけするのだ。英語もそうだったが、タミル語は特に実戦形式で覚えた。

 彼女はとにかく真面目で、秋平メンバーの中で誰よりもよく働いてくれた。自分の職務を全うしてくれていた。僕はいつの間にか、彼女に対して絶大の信頼を置いていた。彼女に対しては『秋平をデカくして、いつかビックリするくらいの給料を払ってやりたい!』そう思っていた。

 朝、少し時間に遅れてくることもあったが、まだ小さい子どもが3人いる彼女にとって、この遅刻は悪気があるものではないだろうと言うのは容易に想像できた。他のスタッフが「アンジェリーがまた時間に来ないよ」と不満を僕に言ってくる事があったが、その度に「彼女は家でも仕事してんだ。理解してやれよ。」と彼らを説き伏せることもしばしば。

 ある時アンジェリーが「ジョー!メーラホーム、ワンガ!ファミリー、ドーササープレ!」みたいなことを言ってきた。訳すと「ジョー、私の家に、家族に会いにきて。一緒にドーサ食べよう」である。本当によく理解したなと自分でも感心する。

 アンジェリーをオートの後ろに乗せ、僕の運転で彼女の家に向かった。そこはいわゆるスラム街。低所得者たちが住む街だった。ちょっと引いた。自分たちの店で、あれだけ一生懸命働いてくれているのに給料はコレだけ。そのせいで、ここで生活しなくちゃいけなくなっている。そんな事実を突きつけられたような気がして、自分の不甲斐なさを感じた。

 成す術もなく家の前に突っ立っていると、子どもたちがニコニコ僕の顔を見ている。「早く入んな!」とアンジェリーから言われ中に入る。六畳くらいしかないスペースに家族5人で暮らしていた。秋平で使えなくなった、欠けたドンブリとか、皿とかを普通に使っていた。そういえばよく「ジョー、コレ持って帰っていい?」と聞いてきていたのを思い出した。

 アンジェリー特製のドーサとカレーみたいなやつを山盛り、僕の皿に盛ってくれる。いつもはベジ生活をしているが、客が来た時だけ魚やチキンを出してくれるようだった。彼女の給料を考えたらかなり高価なものだ。それでも彼女は、「そんなことは気にするな!」と言うようなニコニコ笑顔で、僕を精一杯おもてなししてくれた。

 どこぞの外国からやってきた、宇宙人のような存在の僕が、手でドーサを食べているのを、家族みんなでニコニコして見ている。「ナッライルク!(いいね!うまい!)」と言うとみんな安心した表情でまたニコニコしていた。

 ご飯を食べた後は、子ども達と目一杯遊んだ。そう。僕にできることはこれしかなかった。せっかく秋平で働いてくれてるんだ。お金の面では本当に申し訳ない額しか払えないんだから、せめて“日本人と遊ぶ”と言う、唯一無二の経験をさせてあげるんだ。僕はその日からことあるごとに彼女の家へ足を運んだ。

 日本から友達が来た時は、ほぼアンジェリーの家に連れていった。友達には僕から「気を遣わなくていいから、子ども達といっぱい遊んであげて。」とだけお願いした。すると、帰り際にアンジェリーが「アリガト!なんどり!タンキュー!」といつもお礼を言ってくれるのだ。他は何言ってるか分からないけど、きっと「子ども達に、こう言う経験をさせてくれてありがとう」と言う意味だと勝手に捉えている。でも多分これは間違ってない。

 2019年2月24日。僕はアンジェリーにお別れを言いに行った。朝、彼女に電話をして「今日お昼頃に家に行くね!」と何語で喋ったか分からないけど、しっかり伝えた。

 子ども達は3年の月日を経て、とても大きくなった。当時は超シャイで毎回心を開くのに時間がかかっていたが、この日は僕のオートを見つけると走ってきて、すぐに手を繋いでくれるくらい心を開いてくれていた。一番上のお姉ちゃんは、どんどんアンジェリーに似てきて、立派な大人の女性になりつつあった。そしてアンジェリーはいつものように、ご馳走を作って待っていてくれていた。

 「ジョー、元気にしてた?久しぶりだね!」

 そんな会話をして、ひとしきり子ども達と遊んだ。

 Apple Watchなんか触る機会がないだろうから、いくらでも遊ばせてあげた。彼らに対して、できることはなんでもやってあげたかった。

 アンジェリー特製ドーサを「本当に美味しいね。ハッピーだよ!」なんて言いながら食べた。いつも通りに振る舞うアンジェリーを前にすると、なかなか言い出せなかった。

「アンジェリー、俺、日本帰るんだ。ずっと日本で暮らすんだ。」

 言葉を失うアンジェリー。伝わってないってことじゃなく、ホントに何を言っていいか分からない様子だった。「帰ってこないの?」と何度も同じ質問をしてきた。途中で目を抑えてキッチンの方に隠れてしまった。僕も、泣きそうになった。子ども達は何が起こっているのか全くわかっていないので、変わらずに僕にちょっかいをかけてくる。おかげで涙は見せずに済んだ。

 僕が帰ろうとすると、アンジェリーが「ジョーの家族に」とサリーとキラキラ輝く腕輪をビニール袋に入れて渡してきた。

「これ、渡しても迷惑にならない?」

 なるわけないだろう。どこまでも気を遣える人だった。心の底から嬉しかった。僕のタミル語力では、言えることは「ありがとう」しかなかった。でも充分伝わったような気がする。

 子ども達には「英語、勉強しろよ」と伝え(伝わってないと思うが)、少しでも彼らの今後の人生が幸せになるように願いを込めた。アンジェリーもずっと日本語で「ありがとう」と言っていた。このままいると号泣しそうだったので、僕は笑って「また来るよ!」と伝え家を出た。オートまで送ってくれたアンジェリーが別れ際に「私たちはずっとここにいるから。また帰っておいで。」と言ってくれた。


 オートでひとしきり走った後、道中で停車した。涙で前が見えなくなっていた。本当に悔しい。悔し涙だった。“秋平の力でアンジェリーと家族を幸せにする”と言う目標が叶えられないままチェンナイを去る、自分の無力さに涙が止まらなかった。


 現在、アンジェリーは秋平ではなく、どこかの家で家政婦をやっている。秋平が一号店から撤退したため、労働環境が悪くなり、サティシュが新しい仕事先を紹介してあげたようだ。彼女は僕に「秋平と同じくらい良い職場だよ。幸せ!」と言っていた。

 そこで僕は大きな勘違いをしていたことに気がついた。彼女は不幸なんかじゃない。幸せなんだ。僕の価値観を押し付けているだけ。彼女は、家族と一緒に暮らしていることが何よりの幸せなんだ。「自分は神様にでもなったつもりか。どこまで自分を過大評価してるんだ。」と自分が恥ずかしくなった。あくまでも僕とアンジェリーは友達。お金とか損得とかそう言うんじゃなく、心と心で繋がっている唯一無二の関係なんだ。

 僕の無力さをかき消すための言い訳になっていることも事実なのだが、彼女が今幸せである、と言うことも紛れもない事実である。

 僕は必ずチェンナイに帰ってくる。またアンジェリーと“会話”をするためにね。




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