呟きもしなかった事たちへ_No.34(2022年4月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら索引もあります。

スープをすくう「れんげ」、紐を通す穴が空いていることがたまにあるけど、紐通ってるの見たことないかもしれん。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

コーラ

ドミノピザに遅配があり、お詫びのコーラ1.5リットル無料券が来た。そんなに飲まないよなーと思いつつ次の注文時に使い、案の定「デカいな…」と思いながら冷蔵庫に入れた。

ちょこちょこ飲んでいるが1週間経ってもなくならない(飲んだとしても日に1杯、1回で200ミリリットルもないので、計算上もそうなる)。炭酸は抜けていく。最終的には「朝目を覚ますのにはちょうどいいがうまい訳では無い甘い水」になっていたし、そうなってからは飲む機会が朝だけに減りさらにペースが落ちて最終的に2週間かかった。

どうしたらよかったんだろう?コーラ煮か?

粗大ごみ

近所に、2週に1回は粗大ごみがドカドカと出ているマンションがある。マンション自体はさほど大きくなく、そのマンションだけやたらに引っ越しの頻度が高いように思われる。もっと言うと引っ越しだけなら必ずしも家具を捨てる必要はない訳で、かなぐり捨てる人が良く出る、という印象だ。

どうしてこういう事が起こるのか。場所に何らかの力があるのか。そういえば、飲食店のテナントでも、どういう訳か良い立地にあっても連続でつぶれる場所があったりする。何か、何かがその土地にあるのだろう。

その何かが分からないまま、粗大ごみシールの貼られたソファーをよく目にする。ひっかかる。

脳トレ

いつもお願いしている美容師さんとは同年代なので髪をやってもらっている間もベラベラ喋っているのだけれど、ラジオの話から「平日午後のAMラジオがかかっている場所と言えば地元の文房具屋」と話が展開し、最終的に

「シャーペンの替え芯、文房具屋でしか見かけないキャンペーンやってましたよね?」

と美容師さんに言われて本当に雷に打たれた。確かに、テレビCMなどはやらないくせに、なぜかシャーペンの替え芯は謎のキャンペーンポップが文房具屋にだけあるのだ。社会人になってからほとんどシャープペンシルを使わないのもあるけれど、あれは本当に見なくなった。令和になってから一切脳内になかった概念だ、シャー芯のキャンペーン。

こういうのがシナプスを若返らせる、と信じたい。

ひじき

上白糖が切れたので買ったところ、裏面の「調理使用例」に「五目ひじき煮」と書いてあった。

「今日の料理は砂糖使うもの、なーんだ?」「うーん、角煮かなぁ」「正解は、五・目・ひ・じ・き、よ」は地方AMラジオの変なCMの世界だと思う(この後「地元に愛されてウン十年、乾物なら何たら物産」とナレーションが入る)。

もうちょっとなんていうか、他になかったのか?

忘れられた作品

「忘れられた巨人」を今更読んだ。2015年の作品だったのか。brexitの影響が垣間見えるけれども、結果的に分断と歴史認識の話をしていて、現在にバシバシ刺さる(別にその事自体が作品をよくしている訳ではないのだけれど)。言うならば先取りだ。カズオ・イシグロやっぱりすごいなと思わされる。

けれども、当たり前ではあるけれども、特段この作品は現在特段注目されていない。忘れられた作品。

noteで書いている「思ってたのと違う」未来へ。は、未来へと書きながら現実に僕が現在の問題として認識した事を遅ればせながら書いている。作品が忘れ去られる頃に作品のテーマが僕にも見えるような状況に、本来の力の差を感じる。

ってことをケン・リュウでも書いたな…。

邂逅

Twitterでも書いてはいたのだけれど。

21年11月に、電車の中で変わった女性を見つけた。マルメラを胸ポケットに入れ、シャーマンキングのトートバックを持った、派手な爪の女性。まぁ印象に残るし、そんなことある!?と思った。何せシャーマンキングだ。

ところが、この女性を4か月経って最寄り駅で見かけた。というより、「派手な服装の女性がいるな」と思って見かけたら、爪が派手でシャーマンキングのトートバックだった。驚いたし、なんというか、簡単に言うとときめいた。何せシャーマンキングだ。そして4か月ぶりだ。

こういうの、恋なのではとも思うし、どうせ忘れるし恋ではないとも思う。では何だろう。過去にこういう事も書いているけれど、ちょっと違う気もする。

対話/独白 #大浦るかこ

※このエントリは張り付けているYoutubeを見ないと分からない話なので、要は大浦るかこさんのアーカイブを聞いてほしい。ちょうど今日からるかこさんはお休みに入るので、アーカイブを追うチャンスである。

今まで信用できる人に(つまり、オフラインで)話した事はあったが、さすがに過去のHPやTwitter、Noteでは書いた事が無いエピソードがあった。今回、それを投稿し、結果的にWorld Wide Webに流れた。正直ひどいエピソードだし(実際結構否定的なコメントもあった)読まれるとは思っていなくて、ただ単にテーマがテーマだったので大浦るかこさんに読んでもらいたかった…つまりは話してみたかっただけなのだが、上手く消化していただいた。よくよく考えると投稿されなくてもいいやと私信を投げるのもどうかという話なのだが。いずれにせよ、信じてよかったと思う。

実際のところ、今でもこの日の事は覚えている。そして、思い出すたびに、この日がこうでなかったとしても、多分それはそれ上手く行っていたんだろうなとは思う(当たり前だが、僕が悪い話で、向こうが悪い訳じゃないのだ)。でも、そうではないんだろうなとも思うし、今の生活も大好きだ。

そういうものだ。そういうものだと思って生きている。多分僕があまり人に怒れない事もこの辺に起因していそうだ。「分かんないよね」「そういうものだよね」。そういうところをるかこさんにも感じているところは正直ある。

とか思ったら、半年前にも大浦るかこさんと似た話をしていた。

こうなると迷惑ばかりかけている気がしてきた。僕が迷惑ばかりかけているので、皆様に置かれてはるかこさんを応援していただきたい。

なお、こういう事を自覚的にやったのが下の同人だったりする。


↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。