呟きもしなかった事たちへ_No.19(2021年1月号)

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あけましておめでとうございます。師走は誰もが忙しい月で例外なく忙しく、加えて在宅だと何も起こらない。せめて例年は忘年会があったりして書くこともあったのだが…。月のまとめでもこの状態なので、平時から日記を書き続けている人はえらいなぁと思う。今年は頑張って書いていこう。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

牛肉

よくこのシリーズに出てくる会社のそばの中華料理屋に、「牛かけごはん」「牛かけラーメン」というメニューがある。牛を、かける。牛。正体としては牛肉と細切りにした筍の甜面醤炒めを乗せたものと言ったところだが、確かに今かるくGoogleで調べてもそれらしい料理名はなく、たいてい「牛とタケノコの甘みそ炒め」とかで出てくる。青椒肉絲みたいな、4文字のしゃれた名前は無い。それにしても、「牛」…もうちょっと何とかなろう。

思い返せば「牛丼」においても、「牛」とだけ言うには玉ねぎと一緒に煮たりと随分と凝った料理だが、「牛」の一言である。牛、それだけで料理たらしめるもの。

だから「牛かけごはん」でいいのだ。麻婆豆腐丼を「豆腐かけごはん」と言うと急に貧乏くさくなるのとは違う。

麻婆

上記を書いていて思ったが、「麻婆丼」と中華料理屋で記載があった際に麻婆茄子や麻婆春雨が出てくる可能性を考慮していない我々、わきが甘すぎる。

「麻婆ラーメン」でラーメンの上に麻婆春雨が乗っていたらやや面白いなと思う。麺のようで違う2種の食感が混じり食べ応えも面白そうだ(美味しいかは分からない)。食べてみたいと店を検索したが流石になく、これは自分で作るしかなさそうだ。2021年やる事メモその1。

「麻婆春雨ラーメン」で店を検索した際は、食べログが「東京で人気のラーメンのお店 (麻婆春雨)」と言ってきた。おいい?それは違くないか?

米抜き

年越し蕎麦は高校同窓がやっている京都の鬼そば屋から取り寄せる事に決めていた。例年年越しパーティー用もあってそれなりの量を取り寄せていたが、今年は年越しパーティーが出来ないので、取り寄せる量は減る。そこで、年明けの雑煮を作ったつゆで煮込むとうまい一七六そばも取り寄せる事にした。31日から元旦は年末年始は蕎麦尽くしだ。

ところで、京都に越した親から「大阪今井のうどんが取り寄せできるので、そちらに送った。年末に届こう」と連絡が来た。届いてみると(冷凍かと思っていたが)冷蔵でちいとも日持ちしない。挙句、秘密基地最終回「芋煮」で(芋煮が好調で売れたのと、熱燗温めていたら汁が飛んだので)締めのうどんが二玉余った。これもあまり日持ちはしない。結果、27・28・29がうどん尽くしになった。

30日は飲み会があり、米を食べず。26日はこんな事になるとは思いもしないままラーメンを食べたので、元旦まででなんと都合1週間米を炊かずに生活する事になる。こうなると2日・3日も何とかしたくなるのがゲーム性というやつだ。俺はやるぞ。

ボケ

クリスマス、一部で(あほを釣るために)バズっていた「今日は自分の年齢と西暦を足すと2020年になる特別な日!」画像を、母がLINEで送ってきた。冷静に指摘したところ母は反省していたが、さすがに昔の母であればと思わなくもない。思考力が落ちてきているかと不安にもなる。

しかしもともと抜けているところのある母である。ボケ始めたとまで言えるか…これは難しい。おっちょこちょいの人はボケ初めが分からないのだな…。

宝毛

頬から1か所、ひげとは全く関係のない場所で1本毛が生えるところがある。生えるタイミングもひげのようにすぐ生えるとは決まっておらず、ある日ふいに生え始めていることに気づく(頬に触ると異物感が生まれる)。

今年しばらく生えてこず、おやついに生えるたびに抜いていたので毛穴が死んだりしたのだろうかなどと考えていたのだが、年末になってやってきた。

何か生えない間の生活の特徴があったかと思い返しても原因は分からず、来年もこのままならぬ体と生きていくのだなと思う。

自然薯

ちいともあいさつに行けていないバーに年末のあいさつに行った結果、なぜか良い自然薯をいただいた。実際に会う事で気しかできない物流・イベントは存在するよな、と思う。

それにしても自然薯。不思議な縁はある。

ゆく年くる年

これを書いているのはまだ12月なので、年末年始で気になっている事がいくつかある。例えば、ニューイヤー駅伝の応援はどの程度減っているのか(正直、箱根駅伝はあまり減らないだろうと思っている。ニューイヤー駅伝は会社が動員しているので減るはずだ。参加企業の応援に駆り出される社員および家族は年越しを桐生のホテルで過ごすというなかなかタフな仕打ちだったそうだが、今年は家でゆっくり過ごせることだろう)。

答え合わせは1月執筆の2月号で書くとして、一番気になっているのは「ゆく年くる年」だ。例年、0時の除夜の鐘の直前は音を消しており、0時以降になると中継箇所の雑踏の音を入れて華やかさを演出するという手法を取っている。しかし今年は「雑踏が華やか」ではまずいはずだ。何かコメントをして同じ手法とするのか、全く違う「ゆく年くる年」になるのか。

おまけ:2020年振り返り

Stay Homeな正月として時間もつぶせるよう、野地海月のNote2020を振り返る。

何はともあれ、今年はこれが良く読まれた。確かに出来は良いので改めて読んでいただきたい。

ついで2020年に跳ねたのは「胎界主」レビューであった。これは、執筆も割と気合を入れたが、何より胎界主読者たちを揶揄した文章がウケた。

そういえば、Twitterといえば、「胎界主を読みます」などと呟くと急に胎界主好きとBioに書いてあるアカウントが群がってきていいねやRTをしてくるのは、正直怖いと思う。(中略)是非当座は気持ち悪いと思うだろうが無視して、面白くなってきたころに彼らのTweetを覗いてほしい。おそらく未だに第1部の話をしているので、ある種安心感が生まれる事だと思う。

上記部分の引用コメントが多く、胎界主読者の生態を正しく描写出来ていたなと思う次第。

それと、(普段の読者ではない)読者層が妙に来たのがこれ。まぁ、タイトルがな…ズルをしたな…。

ところで、ライフワークである「野地の旅」を2020年も続けているのだが、Go toも始まる前で旅行がはばかられる時期だったのもあり、タイミングが悪く読まれなかった。改めて紹介しておきたい。

2021年はどこへ行こうか。

それと、2020年はマガジン制度を導入し、全ての記事を何らかのマガジンに含める事にした。主にはこれのためだ。

こちらのマガジンも年末に新作を出しているのでご確認いただきたい。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。