呟きもしなかった事たちへ_No.58(2024年3月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら索引もあります。

トゥールビヨン、精巧な仕組みに対してビヨンとしているの、良い。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。


ハッピー

Pharrell Williams のHappyが、怖い。

上手く言えないが、曲の出来以上に「楽しくなる成分」が入っている気がする。確かに良い曲ではあるし、僕も嫌いではないが、それはそれとして聞くと妙に楽しい気がしてくる。その「効果」が怖い。脳の虚弱性を突かれて楽しい気になってしまっている気がする。虐殺器官(に関する私の見解はこちら)や、催眠術のように、人体のバグを突いているのではないかと思う。

ハッピーターンのハッピーパウダーも、別に料理として最高なわけではないけれど中毒性はあるし「うまい」とは思う(「美味い」とは思ってない)。なんだろう、ハッピーってそういうことなのか。最高ではないが、なぜかハマるものがハッピーである…そういうことかもしれない。

アンハッピー

会社のトイレのうち一つが新しくなり、音姫的なものが導入された。座ると自動で川のせせらぎと鳥のさえずりのような音がする。問題はスピーカーがおかしいのか音割れしていることで、結果的に出てくるガビガビギチギチした鳥のさえずりがトイレを満たす。純粋に不快である。

他の社員と話したことはないが、どうも不快だと感じている人が多いようで、導入された個室だけが空いていることが多い。なんだか変なことで誰も幸せになってないな、などと思う。

準備

スーパーで買ったローストポークを開けようとしたら、クレソンが上蓋に貼り付いてスーッとポークから離れていった。「あーばよとっつぁーん」などとアテレコをして、クレソンを上蓋というヘリで逃げるルパンに見立てて笑いを取る。

今のを動画で撮ってたら多少ウケただろうな、と思うと同時に、そうかネットを主戦場に色々なバズをやっている人たちはこういうものを期待して常にカメラをまわしたり、あるいは撮るために一度蓋を閉めなおしたりしてるんだろう、とも気づく。日々の準備が違う。

ビスキュイ

スポンジで良いのではと思っていたのだが、ジェノワーズとビスキュイでは製法(卵の混ぜ方)が違うと知った。細分化したものが広く認知されている。ギモーヴもいわゆるマシュマロとは違う。

人々がその差を説明できて、また商品上の差を用語の違いからどこまでイメージできているのかは正直疑問もあるが、その差が大事な人も増えての新用語だと信じたい。門外漢なので分からない。その分からなさを楽しみたい。

何となく分かってないやつにオシャレさをアピールするためにやってる、つまりコージーコーナーや不二家がスポンジと言ってるからとりあえず差別化したい、そういうわけではないと信じたい。伝わるべきことを伝えていてくれ。

物忘れ

町会の掲示板に「ものわすれ医療相談」というイベントの張り紙がしてあった。タイトルだけ見て通り過ぎたが、ちょっとしたボケの始まりに対する対処法とか、薬を飲み忘れないようにする方法とか、ものわすれに対する医療相談ということだろう。

そうではなくて医療相談自体がものわすれ気味になっていたら怖い。あーそういう症例はですね、えーと、何だったっけな…まぁ大丈夫ですよ。はい次。

痛み

昔より痛みに弱くなったように思う。ちょっと首と目が凝って痛いだけで何をする気も起きない時がある。平日で仕事があったり、休日でも予定があったりすれば何とかなるが、予定のない休日はその程度のことであれよあれよとベッドの上で時間が溶けていく。昔はそんなこともなく、痛いなぁとは思いながらも動けていたのだが。

痛みなんていうものは慣れなので本来強くなるものと思っていたのに、むしろ若い頃に比べて弱くなったのはどういう訳だろう。有り得るとすれば①精神的なガッツがなくなってきた、②痛みは変わらないが自分のHPが落ちて相対的にダメージが大きくなった、③感覚が鈍ったので「同じ痛み」と思っているものが実は過去より重症である、辺りだろうか。③が一番マシだろうか。いや、どれもそれぞれに嫌だな。

ときめきのメモリアル

ときメモの話をしたいわけではない(過去に散々した)。ときめきというものを忘れているのではないかという話だ。

バレンタインシーズンは嫁にチョコを買う。嫁のことは好きだし、一緒に良いチョコを食べるのは幸せなことだ。バレンタインシーズンというものも当然意識していて、ちゃんと大丸のイベント会場に行く。しっかり楽しんでいる。それはそれとして、バレンタインデーに出てくる、「告白」だとか「想い」だとか、そうしたときめきの要素が遠い。毎年Vtuberがイベントボイスを出したり甘い配信をしていたりすることや、SNSなどにそういうイラストが上がったりすることに驚く。こんなに恋愛感情というものがテーマとして強く、マーケットに刺さるのかということに驚いている自分がいる。

嫁に対する想いは若い頃から変わらないが、どうもこういう「ときめき」とは違ってきたような気もする。ときめきは距離が縮まるというスペクタクルに宿るのかなと想像する。そういう変化からは随分と遠ざかった。既婚、とはそういうことなのかもしれない。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。