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何気ない日常さえも行事にしちゃえばいい

もうすぐ二学期が終わりますね。

少し私のクラスを振り返りたいと思います。

思い返せば、忙しくも楽しかったなぁ。


・運動会では美しいダンスをバトンパスを見せ
・校外学習ではチームで動くことの大切さを学び
・お楽しみ会ではゼロから作り上げて形にしてみせ
・学年フェスティバルでは高め合う仲間へと成長し

今では、明日からでも次の学年に送り出せると自負しています。親バカならぬ担任バカなのかもしれないけど。笑

二学期はクラスの大きな飛躍につながりました。それと同時に、子ども達のクラスへの愛情も一段と高まっていて

「三学期も55日くらいやし、短いなぁ。」
と言ってみれば


「先生、ほんまにやめて。悲しくなるから。」

とガチトーンで怒られる始末。笑


冬の俳句を詠みたいという話になったので、みんなでやってみると


「三学期 短すぎるよ ああさみしい」

と哀愁ある俳句を詠む子もいました。
(季語は三学期なのか?笑)



ただ、二学期を苦しんで終える人もいるのではないでしょうか。

私の小学校でも、二学期に子ども達をまとめることができずに困った、なんて話も聞きます。


二学期でよく言われるのは、11月危機。運動会や校外学習が終わり、行事の特別感がなくなる時期に学級崩壊へと向かってしまうクラスも少なくないそう。クラスのルールが曖昧になったり、教師の知らないところでトラブルが起きていることがきっかけになることも。

でも、やっぱり何も対策がないまま行事に依存する学級は、崩壊に近づくのかなと。


そりゃそうですよね。基本は毎日の授業ですし、集団生活ですから。


私のクラスは、幸運にも11月危機は訪れませんでした。

ただ、まぁ正直に言いますと…


どの月でも、何なら4月から危機を恐れてビクビクしています。


学級崩壊させたい教師などいません。
でも、身近で起きているのも事実。



だからこそ、大切にしていることがあります。

それは

「日々の授業や何気ない場面でさえ行事化しちゃう」

ということ。

行事の時って
・やたら目的や目標を語りません?
・やたら振り返ったりしません?
・やたら写真撮りません?
・その写真を見て盛り上がったりしません?


でも、毎日の授業や普段の学校生活では、そんなことしないですよね?


それ、日常的にしたらいいなって思うんです。

例えば、

「チームワークって大切だよね!」という話をしたとします。

その後、子ども達を見ていると、

「算数で教え合いしてる!ナイス!」とか
「掃除を協力してやってる!ナイス」とか

そんな場面、一日一回くらいはありますよね?

そういう何気ない毎日に、何気ない行動に、教師が価値をつけたらいい。

つまり、

①目的・目標を語り共有して
②子ども達の良い姿を絶対に見逃さず
③言葉や写真で価値づけて
④クラスの物語にしてページを増やす
という営みを日常的なものにできるか、ということなんです。

例えば、最近の体育ではキックベースに取り組んでいました。計4時間行いましたが、最初の1時間はとにかく揉めました。ルールの理解が曖昧な中で「反則した!」やら「ウソつくな!」やらネガティブな言葉が飛び交いました。

しかし、そんな中にも、蹴り方が分からない女の子に蹴り方を教えてあげていた男の子がいました。その瞬間にシャッターを切り、翌日に掲示し紹介。

「この写真のような姿が増えるといいよね。そうすれば、きっと負けたって清々しいし、勝っても相手の気持ちを大切にできるんじゃないかな。」

とみんなに伝えました。

すると、2時間目には際どいタイミングの時に気持ちよく譲るチームが出てきました。そして、今度は譲られた方が譲るという現象も起きました。


そんなことを積み重ねた結果、キックベースの4時間目終わりには、

「今日ほんまに楽しかったわ!」
「点が取れないのは、相手の守備がうまくなってるのもあるよな。」
「やっぱ譲り合いって大事やな!」
「イライラするより、明るくいった方が勝てるわ!」
などなど、子ども達はポジティブな会話をしながら階段を上がっていきました。

こんな会話が子ども達から自然と溢れるなんて、キュンキュンしますよね。



私にとっては、

キックベースも行事

であり、

運動会と同じく成長のチャンス


だと捉えています。体育4時間の中にも物語があり、成長があるんです。


だからこそ、私自身は


・ある程度の見通しと成長の物語を考えていて
・しかし子ども達の物語を子ども達で作っていけるような
・急な物語の変更もニヤニヤしながら受け入れられるような

そんなことを意識して学級経営をしています。

イメージは、現場スタッフの意見をどんどん吸い上げてくれるような「脚本家」「映画監督」といったところでしょうか。

でも必須なのは、教師が脚本、つまりゴールイメージから逆算した成長の物語を計画しているかってところですよね。計画してるから、どの段階かを把握できるし、いざとなったら捨てることだってできます。

そうなれば、もし危機が訪れそうになっても、その違和感をキャッチできるはずです。そして修正ができる。



先日、二学期を振り返り、成長したことを簡単な文章にまとめました。

大人しい子は、
「二学期に成長したことは、人前に強くなったこと。たくさん手を挙げることができるようになったし、自分の意見を話すことができるようになってきた。」

お笑いの中心として活躍した子は、
「二学期に成長したことは、自分らしさを出せたこと。一学期は、クラスを盛り上げることができなかったけど、二学期になって経験を積んで、お笑いとかをやって陽キャになれた。」

勉強に苦手意識を持っている子は、
「二学期で成長したことは、学びの階段をみんなでのぼったこと。勉強が分からなかれば教えてもらえばいいし、教える方も楽しいから、これからもそうやってい成長していきたい。」

読書家な子は、
「二学期で成長したことは、仲間のために頑張れたこと。友達が困っている時にすぐに助けにいくことができた。」

パワフルな子は、
「二学期で成長したことは、ファーストペンギンだ。二学期に思い切ってお笑いをやってみて、もっと自分から色々やってみようと思えた。三学期は一番楽しんでいるクラスにしたい。」

社交的な子は
「二学期に成長したことは、高め合う仲間になれたこと。授業の時に、ポジティブな声かけとアドバイスをして、みんなで成長できた。」


この中に、行事の事は一言も出てきていません。
私のクラスでは、ほとんどの子が


何気ない毎日の中で成長したこと

を書いていました。


教師が何気ない毎日に価値を見い出せば、自ずと子ども達も価値を感じて成長に繋げることができるのでしょう。

だからこそ、そういう営みを4月からやりたいですよね。計画的に。



そうすれば、11月がきっと
「危機」から「進化」に変わります。

行事がなくたって、君たちならもっと良くなれるよってね。




いやー、二学期も本当に楽しかった。


毎日に物語があって、その瞬間にそばにいることができた私は幸せ者です。


三学期は、どんな物語になるのかな。


物語はできているけど、それを壊してくれよ子ども達!想像を超えてくる瞬間こそ、たまらなく嬉しいのだから。

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