文化的な隔たり、に出くわしたら

なかなか言語化が難しいのですけれど、なにかものごとの評価というのはひとそれぞれなんだなぁ、とはみなさんよく感じることなんじゃないかなと思います。

評価というのは思いのほか「合理的」ではないものだなぁ、というのが半世紀生きてきて思うところです。理屈ではこうなんだけれど…文化的な背景でどうしても合理的な評価にならない、ということに出くわすこと、多いですね。むしろ、その方がふつうかもしれない。

まず自分を振り返って、まぁ十分に合理的なつもりになっていても、単純に私の背負った文化の影響で自分ではそう思い込んでしまっている、という部分もあります。文化的な理由が悪い、ということではないので、それは「文化的な多様性」としてひとまずその違いを認識できれば良いと思います。
そこから先の「歩み寄り(包摂)」が大事だろうな、と。

ですが、やはりそこは人間なので、こちらの文化に共感や理解が得られない、というか無価値なものだと思われてしまうと凹んでしまいます。

自分がそういう姿勢にならないよう、気をつけよう。

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