新常態と旧人類

実際にお会いしてお話すると、あぁこの方ってこういうひとなんだなぁ、と腹落ちすることが多いのは、私が旧人類だからなんだろう(笑)。
とくに「サシ」で一時間ほど他愛ない話題のお話すると、そうだと感じます。商談を一時間やっても、ひととなりはわからなくて、仕事の進め方やポリシーがわかるだけ、なんです。まぁそこもその方の重要なひととなり、ですけれど、私が知る限り「プライベートはいいひとなのに、仕事の方は…」(その逆も)ということは往々にしてあるので、それとこれは別なことなんだなと私の中ではそうなっているようです。

他愛ない話を小一時間、実際にお会いしてサシでする、というのは、とくに「間」について独特の緊張感のようなものがあるように感じまして、結局のところその「間」なのか「緊張感」なのかそういうものをどう捌いているのかというところに、感じることがあるのかもしれないですね。

と、新しい出会いがいくつかあって、やっぱりいいものだなぁと思うのですが、それは私が「旧手順」の経験しかないから、そう思うのかもしれない、とも最近思っています。意外と「常識」や「普遍性」なんてものは足元の不確かなものだとも。
「新常態」の「新ツール」で育つ、「リモートネイティブ」ともいうべき人類が登場したら、そのひとらがベテランになったころに「あぁ、やっぱリモートでビデオチャットっていいわぁ、そのひとのことがダイレクトに感じられるんだよねぇ」とか言っているのでしょうか。

価値観や生活様式、あぁそれって文化ですね、共通の文化を持たないものどうしが協調して生きていく、その入り口が「相互理解」かもしれないですが、その相互理解はどうやっていきましょうか、というお話。
最近世の中をかき回している「多様性と平等」のことにも通じている、ような気がします。
どうやら「気長に」でも「根気よく」やっていくということのようだなあ。

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