一味の世界

濡れた髪から流れた雫が静かに服に染み込んでいく。体が冷えて震えているのに、どこか火照っている気がした。
天気予報では晴れと、誇らしげに言っていて、珍しく家から出たと思えば雨。
なんとなく察していた、不条理に思える世界を僕は恨んでなんかいない。
そう、恨んでなんかいない。

吸いこみきれない雨が、アスファルトを踏みつけるたびに跳ねて、きらきらと弾ける。
溢したため息は誰にも聞こえない。

握りしめていた携帯をポケットに押しこんで、雨に濡れて、思いっきりずぶ濡れになって、心地よさを感じている。
世界は濡れて、色も匂いも濃い。
そうだ、ビールを飲もう。ふと思い立っていつものコンビニに向かった。

コンビニに足を踏み入れると鳴る定番のメロディー。レジにはいつものお兄さん。雨のせいか、深夜のせいか、お客さんは誰もいない。
閑散とした店内を濡らしながらお酒コーナーへ向かうと、いつものビールが売り切れている。
仕方なく隣にあるビールを手に取った。少し泡の荒い、喉ごしがいいといえばいいのだろうが僕はあまり好きじゃなかった。

「傘は」
レジにビール単品を持っていくと、お兄さんの低い声がぽつりと聞こえた。
「傘?」
「傘は買わないのか?」
綺麗な瞳に映る自分をみて思い出した。ずぶ濡れだってことに。
「うん、買わない」
きっぱりと答える僕にお兄さんは一瞬言葉に詰まったようにみえた。
ちょっと無愛想なお兄さん。淡々と仕事をこなして、ときおり向けられる瞳が睨まれているような気がしていた。ここ数ヶ月、深夜に行けば必ず会っていたけれど、そういえば初めて喋ったかも。
会計を済まして、ビールの入った袋を僕に渡しながら、また彼が口を開く。
「風呂入ってから飲めよ」
風邪引くぞ。早口でいわれて今度は僕が言葉に詰まった。
またきます、小さな声でつぶやいてコンビニを後にする。湿った空気が小さなしあわせを包みこんで、僕は少し酔ったみたいだ。
相変わらず雨は降っていて、僕はまた濡れる。
濡れることを嫌うようになったのはいつからだろう。こんなに気持ちいいのに、人は知らず知らずのうちにあたりまえの常識に馴染んでいく。濡れた服が気持ち悪いと感じたら、大人になった証拠だ。
僕はまだ、染まらない。

#めむる #短編 #物語

心の瞬間の共鳴にぼくは文字をそっと添える。無力な言葉に抗って、きみと、ぼくと、せかい。応援してくれる方、サポートしてくれたら嬉しいです……お願いします