褪せないおもいで。

 先日、夜中にふと死んじゃった人たちのことを思いだして、なぜかあふれる想いが強くLINEのタイムラインに思いの丈を投稿してしまったのだけど。
数日前たまたまテレビをつけていたらMステが始まり、一番にコブクロが歌いだして、また思いだしてしまったので、重複する内容になるけれど、こちらにも載せようと思ったのでつらつらと失礼します。

 たまにふと思いだす。死んじゃった友人。
きっと自殺ならまだ納得できた。自らを決定できない病気は理不尽で誰もついていけない。
 「俺死ぬんだよ」って笑いながら言われた日のこと今でも鮮明に覚えてる。ちょっと話したいことがあるんだ、ってカフェに誘われてケーキを食べる手が震えた。たぶんそれ以外にダイレクトな反応なんてできなかったんだと思う。
 きみが死ぬとか死なないとか、そんな未来のことでわたしは変わらなかった。「ほとんどの人には内緒にしてるし、知ったきみも、今までと変わらず普通に接してほしい。普通に」ってたしかに言われたけど、それとは無関係にわたしは変わらなかった。でも、やっぱ、きみとの時間を少しでも大切にしたいとは思ったよ。時間を無駄にしたくないって思ったよ。
 一緒にたくさんの本を読んで、一緒に登下校して、語った。
 高校2年、前の席がたまたまきみだった。たまたまペンを忘れたわたしが最初に話しかけたのがきみだった。お互い本が好きで読みあったりした。
 死体を見たってぴんとこないんだよ、死って。
 疎遠になった人と、死んだ人に大した感覚の差はない。でも、死ぬのが怖いといったきみはもういなくて、わたしは生きてる。たしかにきみはいて、たしかにもうどこにもいない。
 ふと街中で流れるコブクロを聞いて、足が止まる。なぜ足が止まるのか瞬時にはわからないけれど、しばらくして思いだす。あぁ、きみが好きだった曲だなって。
 お葬式で特別仲もよくなかったただのクラスメイトが号泣しているのが違和感でしかなくて、わたしは悲しいのに涙なんて流れなくて、やっぱ薄情なんかなって。
 思ったんだけど、そのあとそのあとふいにとめどなく涙が溢れた。止まらせようにも止まらない涙。悲しいという感情を伴わない、きっと本当に悲しいときってこういう風に涙するのかもしれない。
 未来があって、頭もよくて、なのになんで治らない病気でしんじゃうんだろう。何度も思った。わたしが死ぬ理由はいくつもあるのに、死ぬのはわたしじゃない。きみの分まで生きようなんてバカみたいなことは思わなかった。死んじゃったきみの分なんて生きられるはずがない。
 ただ、絶対忘れないって思った。忘れない。きみがたしかにここに存在してたこと。忘れない。きみにもらったいろんなものがわたしの人生につながって加わってる。
 きみと行った場所に行けば、きみを思いだす。無意識に。色あせてなんかない記憶。それでも遠ざかってる気がする。月日が確実に流れていることを感じる。
 それでも、わたしは、死にたいと思ってしまう感情を消せないよ。
 それは罪かな。

 死んじゃった人が2人。同じ病気。
 夏と冬はきみたちの時間だ。わたしは必ず思いだすし、忘れない。
 死ぬ前に「お前と出会えてよかった。別れがあっても出会えてよかった。心配だなぁ…」と言ったきみの言葉も、「死にたいならその命俺にくれよ」って言ったきみの言葉も忘れない。
 わたしが献血をしたのはきみたちが死んじゃったからだよ。血、あげるだけで助けられるなら安い。でも助けたかったのはきみたちだったんだけどなぁ。ってぬぐえない感情。
 失ったのは未来で、でも過去は永遠だ。決して消えない。
 ときどき無性に会いたくて話したくてたまらなくなる。そんな夜、返信のないメールを送ってしまう。

 ひさしぶり。わたしだよ。

 そこそこ大切だった人の名前も、身近な人の誕生日もすぐ忘れちゃうわたしだけど、絶対忘れない。忘れてない。覚えてる。覚えてる。覚えてるよ。

心の瞬間の共鳴にぼくは文字をそっと添える。無力な言葉に抗って、きみと、ぼくと、せかい。応援してくれる方、サポートしてくれたら嬉しいです……お願いします