死生観的な何か

なんとなく、20歳で死にたいなあとか思っている。いつからかもう忘れてしまったけれどずっと。
兄弟姉妹がいないこととか、いとこたちとの関わりがほぼゼロであることとか、色々なものを考えた時に到底叶えられないからこそ、なのだけれど。
叶えられないことはよくわかっていて、納得していて、だから叶える気もない。
ない、んだけれど、ずっとそう思っている。

死にたいという表現を使ってはいるけれど、生きるのが辛いとか全部終わりにしたいとかそういうニュアンスではなくて、なんだかアニメの最終回のEDみたいな、もう手の届かない世界を眺める愛しい感情のようなそんな感じの方が近い。
もっと正確に言うなら、20歳で死にたいというか、大人になりたくないなあ、だと思う。

僕らの年代は成人年齢は18歳だからもうすでに大人なんだけれど、大人になってしまっているんだけれど、それでも20代になってしまったら本当に大人にならなきゃいけないような気がして。
現代にそぐわないかもしれない固定観念マシマシで申し訳ないのだけれど、大人になるってことは恋愛とそのあとに続く結婚と、子供と、それらが現実として迫ってくることだという認識があって。
好きな人と恋人になりたいとか結婚したいとか、好きな人と結婚するのが幸せだとか、子供が何人ほしいだとか、なにひとつわからないのに、そういうことを自分事として考えてしかるべき(だと多数の人が信じて疑問をもつこともしない)人間にならなきゃいけないんだなって思うと。
みんなの人生にはそうやって自分自身の生に深くかかわる幸せなこととか悩むこととかたくさんあるけれど、僕のこの先には死以外なんにもないしな、とか思ったら、さ。
親のことだとかなんにも考えないで自分の人生だけ考えたら、大人になってしまう前に死にたいなあってそれが一番僕にとっては幸せだなあって思う。
望むも何もそもそも選択肢が存在していない立場から周りが''幸せ''を叶えていくのを眺めて、素直に純粋に祝福できない自分に嫌気がさして、何も悪くない相手を遠ざけてしまうこともないし。そういう自分がまた嫌になることもないし。

今の時代恋愛して結婚して子供産んでっていうそれだけじゃない、とは言うけれど、それでも僕の目が映す世界には異性の恋人が欲しい、いる人が羨ましい、就職の時に別々の地方に行くとなったらどうするか、そんなことで溢れていて、だから「それだけじゃない」なんて本当かなぁって疑っている。
そうは言っても口だけなんじゃない?って、自分が普通じゃないんだって納得した時から今までずっと思っている。

信じられないな、と思う。結局のところ、何を言われたところで。悪意も他意も何もないのも知っているし君は何も悪くないけれど、君は外れてる側じゃないからなあ、って。君らは大人になれない側じゃないからなあ、って。

10代ってモラトリアムだったんだよなあ、って思う。
人のこと好きとかわからないんだよねって言っても別にまだぎりぎり何もおかしくなくて、結婚するとかしないとかいつ子供を産むかキャリア的にどうだとか周りが話すこともなくて、だから自分の人生にない、どう頑張ったって共感できない理解できない話を永遠に聞いて適当に相槌を打って薄っぺらな適当に捏造した自分の考えを提供する必要もなくて。これはどっちかっていうと10代というか僕が男女別学でほぼ100%が進学する中高に通っていたことによるモラトリアムな気がするけれど。


大人、なりたくないなぁ、

………っていう、我儘。


2024.7.31

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