医師になろうと思ったきっかけ

夢も将来の目標も何もなかった高校一年生の僕は文理選択をしたとき、とりあえず理系を選んだけれど医学部にだけは絶対に行かないと思っていた。
何の因果か、今その医学部に通っている。

他人の体調不良が苦手だったし人間の臓器とか絶対に見れないから絶対に行きたくないと思っていた。(ちなみに前者の理由で教員にも絶対になりたくないと思っていた)
その二つはいつの間にかどこかに行ってしまって、今では全然なんともないのだが。

医学部にだけは絶対に行かないと思っていたけれど、かといって理系に何か行きたい学部があったわけでもなく、どちらかというと学問的に自分が興味を持っていたのは文系の領域に近かった。
ただなんだかそれらの領域を大学に行って学ぶ、ということになんとなくしっくり来なかった。
法学とか文学とか大学で学んだら絶対に楽しいだろうなとは思ったしその想像は容易についた。
ただその先働くことを考えたときになんか、上手く言えないけどなんか違うんだよな、と思っていた。
そのままとりあえず理転は難しいけど文転はそれに比べたらまだ簡単だし…とか言いながら理系を選択した。
もうひとつ実は、文系科目が得意だからと言って文系を選択したら苦手な理系科目から逃げるみたいで嫌だなんていう子供っぽい理由もあったのだけれど。笑(おかげで受験勉強の時になにもわからなくてかなり苦しんだ。あまりにも馬鹿である)

転機が訪れたのが、高校一年生の終わりから高校二年生にかけてだった。
ひとりの友人が体調を崩した。精神的な色々があって体調が悪くて、授業が始まっても教室に居なかったりした。
特別仲のいい友人というわけではなかった。中学時代の部活が同じで、部内でなんとなく揉めたときによく二人で文句を言い合っていたけれど、僕が部活をやめてからはそんなに話すこともなくなっていた。

なんでかわからないけれど、彼女は僕のことを信頼してくれていたのだと思う。
辛いを、苦しいを、死にたいを、僕に話してくれていた。

いつだったか、彼女が頻繁にリスカしたい、って言うようになった。
僕自身もかつて軽くリスカしていた時期があったから、絶対にやめなとは言えなかったし言いたくなかった。だけど親に見つかったからあっさりやめた自分とは違って、この子は一回してしまったらもう戻らないような気がして、いいよとは言えなかった。
他人の人生の責任を背負えないひとりのただの友人として、肯定してはいけないようなそんな気がしていた。

自分が辛くて苦しくて死にたくてそんなときは誰かにそうだねってただ否定せずに話を聞いてほしかったのに、いざ立場が反対になると全部忘れてしまってどうしたらいいのか何も分からなくなる、という。
人生で何を学んできたんだか。

結局彼女はリスカした。
やめなともいいよとも言わなくて、僕に止める資格はないけど経験者としてリスカしてもいいことはないよ、って言ったのが正しかったのか間違いだったのかずっとわからないな、と思う。
リスカする前に最後に会話していたのは僕だったから、止められるのは僕しかいなかったのに止められなかったのが悔しくて泣いた。
でもそうやって思われるのが本人にとって限りなく迷惑で、心のシャッターを永遠に閉ざす決定的要因になるのもよく知っていた。僕もそうだったから。
だから本人は僕が悔しいと思ったことなんて知らない。

止められなかったことを今でも後悔しているかと言われたらそれは違う。
今でも、リスカという行為を止めることが、死にたいを否定することが正しいとは僕は思っていない。
将来医療に携わる人間として、死にたいに対して死んでもいいよとは立場的に言えないけれど、でも、死んでもいいよって言いたいなとは思う。死にたいって思ってもいいよって、死んでもいいよとは言えないけど、でも死ぬという選択を誰かから奪うことはしたくないって。
大きな声では言えないけれど、僕にとってもずっと死は甘いから。
だから、止められなかったのが悔しかったんじゃなかった。
辛いことがあっても幸せもあって、自分ではどうしようもないことはあるけれどそれは誰にとってもどうしようもないことで、自分に見える標準に著しく届いていないわけじゃなくて。言い方は悪いけれどそんな人生"じゃない側"に近づけてしまったのが悔しかった。

悔しいって思うのも何様だって感じだけれども。
それでも、正しいも間違いもないけれど、過去は変わらないし他の選択肢を選んだ時の未来なんて知り得もしないけれど、それでもどうすればよかったのか知りたくて、精神科医になりたいと思った。

専門的な何かを学んだらもう少し正解が、より良いかもしれない何かがわかるようになるんじゃないかと思って。実際は正解なんかなくて、学んだからといって劇的に変わるわけでもないことも分かっていたけれど。
それでも何かもしかしたら違うかもしれない、と思って。

それが医学部を目指したきっかけだった。

ちなみになぜカウンセラーじゃなくて精神科医だったかというと、カウンセラーにできて精神科医に(資格的に)できないことはないけれどカウンセラーにできなくて精神科医にできることがあったから、である。例えば投薬とか。
もちろん時間的にカウンセラーにしかできない対話とかはそれはもちろん、ある。
だからたぶん、カウンセラーを目指した方がよかったんだとは思う。
だけど、患者さんに自分という人間が与えられる選択肢が少しでも多く欲しくて、それで精神科医の方を選んだ。


先月、僕が医者を目指すきっかけとなった彼女から手紙を受け取った。

中高の頃と変わらず、なんなら当時よりももっと酷い状況だったようだけれど、傍に僕が居られなくても、向き合ってくれる人がきちんと居ますと書いていて、よかったと思った。
順風満帆ではない人に言う言葉としてはおかしいかもしれないけれど、僕には僕の人生があって譲れないものがあって、ずっと傍に居てあげるわけにはいかないから。酷い人間だと自分でも思うけれど。

手紙の中で、彼女は「中高時代私の自殺に対する考え方に唯一共感してくれたのが響だった」と書いていた。本当に嬉しかった、あれ以来私の考え方に共感してくれる人はまだ現れていない、って。

受け取り手の彼女がそう言うのなら、それでよかったんだな、たぶん。
助けられたとは思わないけれど、ひょっとしたら僕はひとつの何かにはなれていたのかもしれない。

2024.6.24

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