見出し画像

「わたし」というジェンダーに寄り添うこと

3月8日。
それは、私にとってこれまで大した意味を持つものではありませんでした。私の周りにはこの日に生まれた人もいないし、大切な人を失った日でもないし。あるいは、3.11の数日前、というイメージが数年前からあるぐらいでしょうか。

ところが、今年からは少し意味を持って私の中に存在するようになりました。
【国際女性デー】。
それが私にとっての3月8日へ、新たに加わった特別です。そして、少なくともこのnoteを書いてみようと思う切欠となりました。

私は普段から主にソーシャルツールとしてTwitterを利用しています。
フォローもフォロワーもほとんどは同じ趣味を持つ同胞で、他には似たような仕事関係で積極的に運用しているアカウントなどをフォローし、TLを眺める毎日です。
ところが、そんな私のTLにも着実にフェミニズムが浸透してきました。
特に意識してフォローしたり、情報収集したわけではありません。けれども「当たり前に生きること」が難しい、普通に生きる権利を獲得したいと活動する声は確かにTwitterの片隅にある私のTLにも届けられたわけです。
恐らく、その声が届き始めたのはやはり #metoo 運動あたりからではないかな、と思います。

そんな私のTLで、3月8日の国際女性デーを目前に控えて、大きく話題になったのが「#なりたくなかったあれは私だ」というタグです。

はじめ、このタグを見ただけでは意図が分かりませんでした。

「なりたくなかったあれ」とは何のことなのか?

戸惑いながらタグの意味を調べる中で件の記事や、メディアもつながるという連携の企画?も把握しました。

そして改めて思ったことは、「声を上げることの価値」です。

同時に、思い出されるのは「過去の私」でした。
女というジェンダーを持って生まれた、たったそれだけの理由で、過去にいくつか忘れがたいハラスメントを受けた経験があります。また、それらは未だに深く傷跡として残り、恐らく薄れることはあっても忘れきる事は無いのだろうと思います。
とはいえ、そのことについて大きく声を上げて間違っているとか、この経験がいかに悲しかったかとか、そういったことを言ったことはありませんでした。
「あえてそうしなかった」というよりは、「しても意味が無い」と思っていたからです。

けれども、近頃のフェミニズムの動きを見ていると、
「上げられなかった声は無かったことにされる」のだとつくづく思い知りました。

もしかしたら、私があのとき間違っていると言えていれば、もしくは、その後にこのような経験をしたと言えていれば、同じハラスメントを受けない人がいたかもしれない。少なくとも、ハラスメントを行う人から回避できたかもしれない。

そんな考えが湧き起こり、このnoteを書くに至りました。

3月8日には、たくさんの記事やニュースを見ました。
多くの女性が声をあげて、当然の権利を獲得するために活動していました。

私はその時にはまだ圧倒されるだけで、ただ傍観者でいるだけでした。
けれども、3月8日を過ぎた今になって、ようやくこうしてはじめの一歩を踏み出しています。

この一歩を踏み出そうと思えたのは、先に声を上げ続けてくれたフェミニストを掲げる人たちのおかげです。
まだ過去の私の経験を文字に起こすには少し整理に時間もかかりますが、少しずつ「無かったことになっていた」経験を現実の中に落とし込めればと思っています。

そうして少しずつ、「それはおかしいことだ」と認識できて、当たり前の権利がわたしたち女性にとって「普通」のこととして認められる世の中になればと思います。

そんなことを考えた3月8日、それが2020年の国際女性デーでした。