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だから私はギターを弾くのを止めた #1

物心ついた時には家の壁に敷き詰められた大量のアナログレコードに興味を持っていたらしい。けれどそれを触る事無かったのはきっと親が大事にしていた物だからって感覚で分かっていたのかもしれない。

壁にかけられたレスポール、並べられたアコースティックギターもエレキベースもTAB譜も、今思えば小さい頃から音楽に囲まれていた。そんな環境下に置かれたら音楽に興味湧くのは誰も逃れられないだろうに。

そこそこに大きくなったいつの日か、たまたま付けたTVから流れてきたのは、疾走感溢れるNARUTOの映像だった。

出会ってからというものの、気がついたら音楽を中心に生きていくまでのスピードはあまりにも早かった。

中学校生活にも慣れてきた2年目。
出会った初動がロックだった事もあってか、周りはJPOPを聴く人が多い中やはりJROCKを聴いて日々過ごす事が多かった。
MDウォークマンなんて買ってもらえる訳もなく、お粗末なアンテナがついたお下がりのCDラジカセで、色んな曲を聴く日々が続いた。

通ぶってるつもりは無かったけど、やはり心のどこかでJROCKを聴いてる自分に酔ってる節があったのかもしれない。
所謂拗らせた中学2年生はその拗らせた心のまま好きなアジカンを聴き続けていた。

兄がギターを弾いて、
父がギターを弾いて、
母がギターを弾いて、
姉がギターを弾いていた。

こぞって皆んなしてギターを弾く様な家庭だったからかは分からないが、私が「ギターを欲しい」と言うとそれはもうスムーズにすんなりと買ってくれた。
丁度リビングで君という花を聴いていた時だった。

渋谷のKEYに連れてかれ、何もわからない目で品定めしながらそれを見つけた。初めて手に入れたギターはフェンダージャパンの黒いテレキャスターだった。

なんでテレキャスターを選んだのか分からないけれど、直感だったのかもしれない。この文を書いてる今も1番好きなギターの音はテレキャスターの音、だから。

初めての武器を手に入れてからは自分は無敵になった様な感覚だった。
上手くない手つきで、指の先を痛めながら昼夜問わずギターに触れ続けて弾き続けて怒られた。何もエフェクターとか知らぬまま、ただただギターを弾いては指の皮が硬くなっていった。

確か中学2年の終わりか3年の頃だった。地元で仲良かった友人とバンドを組んだ。その頃はアジカンとストレイテナーと9mm Parabellum Bulletのコピーばかりしていて、本格的にロキノン厨と呼ばれる部類の人間になっていた。

当時からギターボーカルをやっていたけれど、別に歌が上手い訳でもなく、更にはギターだって上手くもなかった。それでも前に立とうとしたのはギターを持った私は当時は無敵だったからだ。
今振り返るとなんて無謀な事をしていたんだろう。今すぐにでも戻れるなら当時の自分を殴りたい。せめてもっとちゃんと練習してからにしろ、って。

中学の最後、学校の行事で人前でバンドとして演奏する事があった。が、正直言ってあまり覚えてないし、覚えてないって事は思い出したくない記憶って事だろうからそれはそのまま墓まで持ってく事にする。

見てた兄曰く、
「なんつーかまあ、うん、良くはないけど熱意は伝わった」
ポジティブな考えをするとある意味ロックな傷跡は残せたのかもしれない。

音楽は時代と共に流行が変わりやすい。
むしろ流行を生み出したものが強く、そういう強い精神に憧れて、真似事をする日々が続いた。
その中で自分を見つける事が出来てれば今もきっとギターを弾いていたのかもしれない。

技術は平行線のまま、近いからという理由で選んだ高校生活で、多彩な音楽性に巻き込まれる事になるのは、また後のお話。

………

好きなバンド好きな曲は数えきれないけれど、個人的な一推しをアーティストひとつ。

Alaska Jam / FASHION
 
ヒプマイ楽曲のリリックも担当する森心言率いるミクスチャーバンドAlaska Jam。
メンバーにはKEYTALKのギターたけまさも居る。
ミクスチャーとは言ったけれど楽曲によって色が結構違くて、森心言のラップと楽器隊の息の合い方、全てが合わさって生まれる世界観はどれもズバ抜けてカッコいい。
何よりも全員楽しそうに演奏するのが非常に良い。
ホントおすすめ。

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