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舞台の表と裏、そしてつくることについて

つくることに行き詰まると、決まって舞台裏の景色が脳裏にちらつく。

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舞台裏のこと。

高校3年の頃に和歌山で行われた『関西吹奏楽コンクール』に出演者として参加したことがあった。出番を待つ間、私は真っ暗な舞台裏から光のさすステージをのぞきこむ。

まぶしい。誰かの楽器に反射したスポットライトが一瞬だけ私の視界を白く染めた。しばらくしてから景色に色が戻っていく。

上下に大きくゆれる肩、グリップを強くにぎる手、小刻みにふるえる指先。ステージ上の様子は舞台裏からよく見えた。クーラーの冷気と張り詰めた雰囲気が相乗効果をもたらし、肌の輪郭を鮮明にしていく。

緊張と興奮と、わずかな恍惚が私のなかを駆けめぐる。不思議と不安はなかった。それはたぶん、たくさん練習してきたからでもなく、評価が気にならないからでもない。ただ自分の心が動かされるものを目の当たりにし、自分もその後を追う権利があるのかと感動したからだ。

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出番がくる。景色は舞台裏から一変し、私は光のなかから暗闇を見た。

私にとっての演奏とは2つに分けることができた。コンクール用とコンサート用だ。コンサート用の演奏ではその場の感情を混ぜて演奏することを主とし、反対にコンクール用の演奏ではなるべく自分の感情と演奏を切り離すことを意識していた。

どちらがいいとかは別にない。ただなんとなく観客を楽しませることといつも通りの演奏をすることのどちらに重きを置くのかで分けて演奏するようになっただけだった。

なので、当時のコンクールでも場に向いているという理由でその場の感情を入れない「いつも通り」の演奏を心がけていた。あらかじめ約束していた音を約束されていたタイミングで丁寧に鳴らしていく。それはとても繊細で骨の折れる作業だった。それでも、好きな音楽をしているということや成し遂げるために必要なことだと思っていたので、それを苦と思うことはなかったし、むしろ楽しいとさえ思っていた。

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深夜に灯りもつけず作業をする。沈黙の奥に隠れている時計の音に耳をすます。規律正しいリズムに合わせ、タイピングをしていく。暗いところでの作業を心地良いと感じるようになったのはいつからだろうか。

つくることに行き詰まるたび、舞台裏を思い出す。未来を想像しては希望で満たされた舞台裏も、ただただ目の前のことに向き合った舞台上も、どちらも一瞬の出来事だった。

つくることもきっと同じ。構想する時間も作業をする時間も一瞬のことで、だからこそ私はあの日、舞台の表と裏とで得た知見を忘れてはならない。

そう考えて私は再び作業をにもどる。液晶の文字が私にとってあるべき場所へと整理されていく。未完成が完成へと変化する。

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