【エッセイ】観客席から祈るように 〜崎山蒼志ワンマンライブより〜
「まるで祈るようなライブだ」そう思ったのは、9月22日に六本木で行われた崎山蒼志くんのワンマンライブでのこと。
六本木のライブシアターって、座って鑑賞するんだね。アーティストのライブって立って観るものが割と多い気がするんだけれど、その度にどんな姿勢でいたらいいのかわからなくて、そわそわしちゃう。
だから、今回のライブが座りっぱなしで良かったのは、ライブ初心者の私にとっては結構ありがたいなーなんて思ったりもした。
そうやって座ってのライブを今回初めて経験して、気づいたことがある。それは立って観るのと座って観るのとでは、結構感じ方が違う気がするということ。
まず、触覚が鋭くなった感じがする。座っているから、立つよりも身体の触れている部分が増える。そうすると大きな音による座席の振動を感じるのはもちろんなんだけれど、特に面白いのは他の観客が動いた振動も一緒に伝わるところ。
曲によって変化していく誰かの揺れに、「あぁ、この曲は特にお気に入りなのかな」とか考えて...... 座席特有の楽しみ方や他のファンとのコミュニケーションがある感じがすごく素敵だなって思った。
もうひとつは、一対一の感覚が強くなる気がしたこと。みんなで動きや掛け声を合わせるということが無かったから、尚更そう感じるのかも知れない。
自分は大勢いるファンの1人で「ファン」という集合体とアーティストの対話という感覚が薄かったのが印象的。どちらかと言うと、崎山くんと私だとか見知らぬ1人のファンと私の間でコミュニケーションをしている感じがするライブだった。
そして何より今回のライブでは、彼のライブってまるで「祈り」のようだなと強く思った。
さっき話した一対一の感覚も含めて、直接的すぎない彼の歌詞や不意にここではないどこかをみているような彼の視線とか、そういうひとつひとつが複雑に絡み合って、崎山くんのライブってとても独特の雰囲気があるように思う。
わかりそうでわからない。多分こんな感じなんだろうなと思うけれど、もっと深い何かがありそうな気がしてならない。なんでなんだろう。もっと知りたい。わかりたい。わかりあいたい。
そんな風に、私たちはきっとわかり合えないのだけれど、それでもわかり合えることを諦めてはいけないと思ってしまう。
それは、まる祈りのよう。
彼のギターが鼓膜を震わすたび、彼の歌詞が脳内をめぐるたび、彼の不意に右口角をあげる癖が笑っているように見えるたび、「どうか彼が幸せでありますように、少なくともこの今だけは楽しんでいますように」と考えずにはいられなかった。
もしかすると、私たちの想いは彼にとって一種の呪いになってしまうときがくるのかもしれない。けれど、なるべく白くて淡くて優しい呪いであってほしい。ひだまりのような呪いであってほしい。そしてこの想いは「願い」ではなく「祈り」であってほしい、そう思う。
とても素敵なライブでした、ありがとう。また、行けたらいいあと思います。次は、他のファンの方ともお話してみたいなぁ。
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