傘は天下の回りもの
友人が大学を辞めた。ちょうど大学四回生になる直前のことだった。
彼はなぜかよく傘を盗まれる男で、盗まれるたびに「金と傘は天下の回りもの」という謎の理論をかましながら私の傘に入ってきた。私はそんな彼の理論が好きだった。何回傘が無くなっても笑い飛ばす彼を見るたび、私はいつかこの人にも傘が回ってきますようにとこっそり神に願った。
そんな彼が大学を辞めた。以降、私は彼と連絡をとっていない。
☔️
「それ、みっちゃんの」
幼い子特有の丸く大きな瞳がこちらを見ている。子供とは思えない強い眼差しに、私は思わず傘に伸ばしていた手を引っ込めた。
「すみません! こら、みっちゃんのはこっち」と、すぐさま母親らしき女性が私たちの間に割って入る。少女は私の傘に視線を移したまま、動かない。
さてどうしたものかと悩んでいると、ふと彼のことが頭をよぎった。そうだ『イイコト』を思いついた。ニヤリと笑った私は小さく息を吸い直し、ゆっくりと少女に話しかける。
「実はこの傘、魔法の傘なの。特別に君にあげる。そのかわりに約束があるの。約束、できる?」
少女がじっと私を見て深く頷く。そうして私は傘と共に小さな願いを彼女に託した。
☔️
「入る?」
突然降り出した雨から逃げ込んだ先で思わぬ人物に声をかけられた。
「なんでいんの?」
声が上ずる。彼だ。いなくなったはずの彼が目の前に立っていた。
彼は部屋の契約が残ってるからまだこっちに住んでんのと答え、で、入んないの? と続けた。数ヶ月のブランクを全く感じさせない、いつも通り態度だった。
彼の傘にお邪魔してしばらく経ち、私は再び口を開いた。
「傘、虹色なんだね。私も昔持ってた」
「あー、この前また傘を盗まれてさ。そのときに貰ったんよ。困っている人に渡したら願いの叶う魔法の傘なんだとさ……って何で笑ってんの」
まさかこんなことがあるのだろうか。先ほどまでうっすらと感じていた気まずさも後ろめたさも何もかもがどうでも良くなる。私は嬉しくてたまらなかった。
「良かったじゃん。金と傘は天下の回りものなんでしょ」と言って私は彼の肩を叩く。よくそんなこと覚えてんなと彼は笑った。あの頃となんら変わらないやり取り。
去り際に思い切って「またね」と言ってみた。彼は少し驚いた様子を見せたものの、すぐさま「うん、また」と返事をした。「また」が本当に来るのかなんてわからない。それでも今はその一言が言えただけで嬉しかった。
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