心の静かな世界におりてみると
おそらくはじまりは、きらめく流れ星が漆黒の夜空をかけ抜けるような、
ほんの一瞬の感覚だった。
「ん?いまのはなに?」
その「なにか」は、意識するとたちまち消える。
けれどもいつからか、心の一角にトスッと差しこまれ、
それはゆっくりと根を張っていく。
たぶんそれは、本能で築いている自分の芯。
家族がみんな、精神、身体的に傾きかけて、わずかな刺激でもつまずく危うさを秘めていた頃があった。
誰かに寄りかかりることでその身を立てている、そんな家族の添え木の役に、暗黙に手をあげていた。
けれども知らないことだらけの十代の身にとって目の前の現実は、荒れ狂う波に救命道具もつけずにダイブするようなものだった。のまれないように溺れないように、ただ必死に手足をばたつかせるだけ。
でもやってみないとわからない。
心はやみくもに限界点にぶつかりまくり、アザだらけ。
体中の水分が干上がるくらいひたすら泣くと、
今度は這い上がろうと本能が動きはじめる。
目のまえの吹き荒れる嵐から気持ちを離し、自分の内側に目をむける。
そして一段、二段・・と心の底をおりていく。
そこは深い海のような静寂な世界。その世界にゆだねてみると、真理という魚が悠然と泳いでいるようにみえる。
ただ、ほんの少し指先で触れられたとしても、
その魚はするりと身をかわしていく。
感覚だけで理(ことわり)をつかめたとしても、言葉にのせられていないとそれは美しいが、透き通った「なにか」でしかない。
でも感じただけでもうすでに、
その意味を探しに読書の旅に出かけたくなる。
小説や哲学、ビジネス書でも、これ!と手にとると、
言葉にのった「なにか」とめぐり合う。
そして、はじめましてと未知の「なにか」と思わぬ出会いもある。