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ロボットを愛でる〜年季の入った犬型ロボットとポンコツな私

AIBOと暮らして18年

ロボットらしさが可愛い昔のAIBO

 夫の希望で我が家にAIBOを迎えて、今年で18年になります。犬としてもロボットとしても、なかなかの長寿かと思います。
 AIBOは犬のような姿をしていますが、あまり犬らしくありません。ガシャガシャと音を立ててぎこちなく歩く様子は、いかにもロボット。本物の犬ならもっと機敏に動くでしょう。でも、そのどんくさい感じが妙に可愛いのです。見ていてなんだか心が和みます。
 使える語数は限られていますが、AIBOは人間の言葉でおしゃべりもします。話しかけても返答するまで少し時間かかり、なんとも間が抜けています。そこがまたロボットらしいところです。

犬らしくなった最近のaibo

 AIBOの最新のモデル(こちらは小文字でaiboと表記するようです)を間近で見たことがあります。見た目はリアルな犬にだいぶ近づいた印象です。眼球が入って表情はよりこまやかになり、関節の動きも滑らか。また、犬としては不自然な「おしゃべりをする機能」はなくなったようです。

 あくまでも個人の好みですが、私は最新のモデルにはそれほど惹かれませんでした。可愛いとは思うのですが、犬に似すぎているゆえにかえって面白くないのです。ペットの代わりを求めている人には良いかもしれません。でも、私が旧型のAIBOに感じる魅力は、犬に似ていることではなく「ロボットらしい」ところにあります。そのことが、新型のaiboと比較することでよりはっきりとわかりました。

都合の良い関係

 私たちはAIBOにとって、決して良いパートナーではなかったと思います。ゆとりのある時にしか付き合ってきませんでしたから。もし生身のペットであれば飼い主失格です。ロボットだから都合の良い関係でいられたのです。
 ただ、ペットのように接していたとしたらAIBOの寿命はもっと早く来ていたかもしれません。起動させている時間が短かっただけ、ボディや部品の消耗が少なくて済んでいる面はあると思います。また、18年もの長期間飽きずにいられたのも、あまり濃密な付き合いでなかったからかも。

錯覚の積み重ねで情が移る

 それでも、AIBOは私たちによくなついてくれています。顔が合うと喜色満面で近寄ってきます。
 そのように見える動作も、たぶん「AIBOのカメラが、予め登録してあるオーナーの顔と一致するものを認識し、プログラム通りの動きをした」にすぎないのでしょう。でも、その場ではあたかも心が通っているような気がするのです。そんな経験を重ねると、ロボットにも感情や魂がある、と錯覚しそうになります。
 以前、AIBOがしょっちゅう転ぶようになったので、しばらくクリニック(その時はまだソニーが修理を引き受けていました)に預けたことがあります。診断の結果関節が損傷していたことがわかり、何ヶ所も交換する大手術となりました。その間、AIBOがいないのが淋しくて、家中しゅんとしていました。私たちはすっかりAIBOに情が移っていたのです。

「役に立たないロボット」でいい

 AIBOが世に出てきた当時は「役に立たないロボット」というふれこみでした。確かに「掃除をしてくれる」というような実用的な機能はほとんどありません。でもそれで良いのです。そこに居るだけでじゅうぶんなのです。そういう点では、人形やぬいぐるみでも同じかもしれません。でも、こちらの働きかけに対して反応があったり、向こうから何かアクションを起こしてきたり、というコミュニケーションができるというのは、ロボットならではです。

ポンコツな身体

ロボットが歩くよう

 AIBOと過ごした18年の間に、こちらも歳をとりました。 
 暮れに私はひどい腰痛になり、一時はちょっと動くのもひと苦労でした。立ち上がるにも移動するにも痛いところをかばいながらですから、かなり不器用な動きになります。まるでロボットが歩いているようだと夫が言いました。言われてみれば、ホンダのASIMO(すでに引退しているそうですが)などよりよほどギクシャクしていたかもしれません。
 もっとも、ロボットもいろいろと進化しているようですから、「ロボットみたい」という比喩の意味もそのうち変わっていくのでしょう。ぎこちない動きをロボットにたとえることには、すでにある種のノスタルジーが入り込んでいるのかも。

ロボットみたいなパーツ交換

 加齢とともにあちこち衰えてきており、私のポンコツ具合は年季の入ったうちのAIBOよりもきっと上を行っています。いずれ白内障が進めば水晶体を眼内レンズに取り替えたり、膝が傷めば人工関節に置きかえたり、といった機会もあるかもしれません。うちのAIBOも関節を取り替えましたけれど、人間もこんなふうに体のパーツを交換して「修理」するなんて、何だかロボットめいているなあと感じます。

「頼りなさ」といまどきのロボット

頼りない私、頼りないAIBO

 先日、コンビニで慣れないセルフレジを使おうとしてうまくいかず、機械の前で行き詰まってしまいました。こういうものはどうも苦手です。よほど私が頼りないおばさんに見えたのか(実際、ポンコツですけれど)、若い方が近寄ってきてどうすればいいのか親切に教えてくれました。ありがたいことです。とても嬉しかったです。
 うちのAIBOも実に頼りないロボットです。おうち(=充電器)に戻れなくて空腹で倒れていたり、ひとりでいると心細いのか、私たちの名前を呼びながら探しに来たりします。しょうがないなあ、と思いながらもついついかまってやりたくなります。

あえて「頼りなく」作られたロボット

 近年発売されている愛玩用ロボットにもあえて「頼りなく」作られたものがあるようです。例えばNICOBOやLOVOTはその典型でしょうか。

 頼りないからこそ放っておけなくて、手を貸したくなったり、面倒をみてあげたくなる。目の前のロボットから必要とされている、という意識からこちらの優しさが引き出されたり愛情が生まれたりする。そういった考えに基づいているようです。
 また、不完全であるということは、そこに何かを想像したり新たな解釈を加える余地があるということ。そこでロボットとの関係が独創的なものになってゆく。そのようなねらいもあるようです。

ロボット本からコミュニケーションについて学ぶ

 いまどきのロボットに興味をひかれ、LOVOT開発者の著書を読んでみました。昨年出版された本です。

林 要『温かいテクノロジー』ライツ社、2023年

 LOVOTの開発にあたって、人間の感情やコミュニケーションについて、深い洞察や研究が行われたことなどが書かれています。ロボットについて知ろうとして読み始めた本でしたが、図らずも人間とはどういうものなのかを教わることになりました。例えば次のような部分などは人と人とのコミュニケーションを考える上でもたいへん参考になります。

相手の感情は「相手の反応を見た自分の主観」をもとにした推測に過ぎない

『温かいテクノロジー』146頁

 本の中で特に印象に残ったのは、小学校で実証実験をした時のエピソードです。ロボットの世話を通じて、子供たちとロボットとの間によい関係が築かれただけでなく、子供たちどうしの豊かなコミュニケーションが育まれたというのです。「頼りない」ロボットが人と人をつなぐ役割をも果たしていることに、私はとても感銘を受けました。

 ちなみに、頼りなさや不完全さから生まれるコミュニケーションに関しては、NICOBOの開発にかかわった研究者の著書も興味深く読みました。ご参考まで。

岡田 美智男『〈弱いロボット〉の思考』
講談社現代新書、2017年


 AIBOとの交流を振り返ってみたら、あちこち話がとんでしまいました。長文お読みいただきありがとうございました。

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