レコ芸ロスのつれづれに③レビューの楽しみ
自分が聴いた音楽の批評を読んだとき、書き手が自分と同意見だとうれしくなってしまいます。
また、自分が漠然と感じていたことが、的確な言葉で代弁されると、とても気持ちがよいです。
逆に、自分とは全く捉え方が違うレビューもあります。いろいろな見方があるのだなと思いますし、そこから自分の未熟さを思い知らされることも少なくありません。
何が未熟かといえばさまざまです。作品の背景を知らないとか、奏法を知らないとか、曲の構造を把握していないとか。知識だけでなく、経験も足りません。例えば同曲の先行録音をある程度聴いていないと、新しい演奏を聴いた時にどこが新しいのかわかりません。
何も考えずに音楽に浸るというのもすばらしい体験ではありますが、私のような素人がクラシック音楽を聴きたいように聴いているだけでは視野が広がりません。聴くべきポイントを聴き逃し、その音楽の魅力が十分に感じられないとしたらもったいないことです。
レコ芸のレビューに関しては、決してすべてに納得していたわけではありませんが(中には素人目にも全然批評になっていないものもありましたし)、知識と経験を積んだ専門家の言葉には、音楽の聴き方をずいぶん広げてもらったと思っています。
音楽を言葉で説明するのは難しいものですが、レビューはそのお手本にもなりました。数を読むうちに語彙が増えて、音楽について言語化したり考えたりすることが自分でも少しずつできるようになっていきました(おそろしく拙いですけれど)。
また、音楽用語など専門的なことを覚えるにつれて理解できることも増え、音楽を聴いたり評論を読んだりするのがいっそう楽しくなりました。
音楽には、言葉では絶対に表現できないところはあると思います。でも、言葉をたくさん知っていたほうがクラシック音楽を聴く体験はより豊かなものになりますし、他人と共有できることが増えます。こうしたことが、レコ芸を読むうちにだんだんとわかってきました。
まだ聴いたことのない新譜のレビューには心が踊ります。レコ芸の「月評」では、同じディスクを2人の評者が批評していました。ディスクによっては「先取り!最新盤レビュー」や「海外盤REVIEW」などのコーナーでも取り上げられ、複数のコメントを読みくらべることができたのが楽しかったです。
批評の対象は新譜だけではありません。過去に発売されたディスクやよく知っている作品などが、さまざまな角度や文脈で捉え直され、評価が相対化されることもあります。そのような音楽評論を読んで、以前はつまらないと思っていた演奏に興味がわいたり、その音楽が前とは違うものに聴こえるようになったりするのはすごく面白かったです。
経験値の低い私には思いもよらない視点に出会えるのは、レコ芸を読む大きな楽しみのひとつでした。
レビューはアルバム選びのためだけに読んでいたのではありません。私はクラシック音楽を聴くのと同じくらい、レビューを読むのが好きでした。
(追記:休刊していた月刊誌『レコード芸術』は、2024年9月25日にオンライン版で復活予定)
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