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父親がパンクだったはなし

昔の話、僕はイギリスはロンドンに住んでた事があったんだけれども、だから英語がペラペラなんだよね。

その頃は親父がバーを経営していて、ママンはバーで踊り子みたいな事をやってたりしてたんだけど、親父の人柄が良かったからか来るお客さんはみんな良い人達ばっかりで。

二つ隣の鍛冶屋のボブ叔父さん、バーの三階に住んでる小説家のキャサリン、車の修理屋のビリーなんかが毎晩のように店にやってきて、ウインナーをツマミにビールをバカみたいに飲んでベロベロになっちゃって。

夜も更けてみんな自分の家に帰っていくんだけど、店から帰っていく全員が酔いが回ってろれつが回らない舌でいつも僕にこう言うんだ。

「お前の親父さんは最高だ。」って。

そんな人達が集まるお店だったから僕は親父のお店が大好きだったんだ。

それからしばらくした頃お店に少し変化があった。
お客さんが急に増え始めたんだ。特に若い人達がね。

最初はお客さんが増えたってみんなで喜んでたんだけど、その若い人達ってのがちょっと見た目が怖い人達で、黒い革ジャンを着て服のアチコチに安全ピンを付けてたりするんだ。

最初はなんで安全ピンなんか付けるのか分からなかったんだけど、聞いた話によると巷でパンクミュージックってのが流行ってるらしくて、安全ピンはパンクのファッションには重要らしい。


それからすぐに世間はパンクムーブメントってやつで騒ぎ始め、ロンドンのど真ん中の親父の店はいつの間にか不良達のたまり場になっちゃったんだ。

そいつらは普段は見た目の割に良いやつらで、僕と遊んでくれたりしたんだけど、酒が入って酔いが回ると手がつけられなくなってしまう。

コップを投げつけたり、そこら中にゲロをはいたり、ギターを振り回したり。
毎日がそんな様子だから昔の常連さん達は店に寄り付かなくなっちゃったんだけど、それでも親父は仕事だからってもちろんお客さんの文句なんて言わずに黙々と働いていたんだ。

何故か僕はそんな不良の若者達にも可愛がられて、ギターやなんかを教えてもらったりしていて、ある日冗談で僕は革ジャンを羽織ってグラサンを掛けて親父にギターを披露しにいったんだ。
笑ってくれるかなって。

そしたら突然親父は泣き出して「息子が不良になっちまった。」って叫んで僕の持ってたギターを取り上げてそのギターをグルングルンに振り回して店を粉々に破壊。
不良の若者達を全員タコ殴りにして、その夜に飛行機に乗って日本に向かって今に至るって訳さ。

僕は思ったね。あのときの親父が一番パンクだったって。

こぼれ話だけれど、あの時僕にギターを教えてくれたのがピストルズのジョニーロットンだったって話さ。

うそやで。

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