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父から受け取ったもの、息子に渡すもの

父について考えること

自分ではない他の人が考えていたこと、他の人の記憶にアクセスするようなことは、非常に難しいことだと思います。

それも、親というなまじ近しい人の場合、先入観、思い込み、避けがたい悪感情、ぼぉーっとするような気持ちいい思い出なども混じって、客観的に見ることは、ほぼ不可能かと感じます。


答え、
そういうものがあるとすれば、その感情は、たどり着く道を間違えやすくするでしょう。もちろん、近しいから、とっかかりは多いと思います。しかし、余程、気をつけて、自身の記憶をたどる必要があると感じます。

自分のルーツ、自分を構成するものを知ろうとしたとき、同性の親、男にとっての父親を知ることは、最も大事な作業になるかもしれないと感じています。

「猫を棄てる」の表現

「猫を棄てる」を読むと、村上春樹さんが、気をつけていることがその表現から伝わってきます。

もちろん父に関して覚えていることはたくさんある。
おそらくそこには、僕にそれ以上の質問を続けさせない何かがーー場の空気のようなものがーーあったのだと思う。
具体的なことは何も言わなかったが(少なくとも僕は何も耳にしなかったが)、そのときには父の腹は決まっていたのだと思う。そういう気配が感じられた。
そしてこれはあくまで僕の勝手な推測に過ぎないのだが、
僕の父親は、息子である僕の目から見ればということだが、
でもそのときのことを父は、一度も僕に話さなかった。
具体的に感情的に理解することはできない。
僕の記憶が混濁しているのか、あるいは父がもともと曖昧な語り方をしたのか、
うちの母親は「あなたのお父さんは頭の良い人やから」と僕によく言っていた。
実際のところはわからない。これもまたひとつの謎になっている。

村上さんは、自分の気持ち、正しいと思われる記憶、思考の偏り、間違いない事実、それらを区別しながら、話を進めています。すごく短い本ですが、決して、結論を急いでいないように感じました。

実は私も父について考えようとしていた…

本を手にした時、実は私も、それに似た作業を行おうと思っているところでした。

きっかけは、たまたま知り合いから、ある見守りサービスの試用を頼まれたことです。離れて暮らす親が元気なことを知るため、そして、親とのコミュニケーションのきっかけにするためのサービスです。登録者が子どもの頃や、親が学生の時などの質問を定期的にメールし、それを受け取った親がスマホから回答を入力するといったことをします。結果、話すきっかけにもなるし、回答があるということは、普通に生活していることも伝わります。

親の回答から、親が学生だった時の好み、結婚した時のエピソード、私が子どもの頃の旅行の話、学校のイベントの話を通じて、聞いたことがなかった話、想像しなかった親の感情を見ることになりました。

自分では何も感じていなかった出来事が、親にとって負担だったこと、
心配や将来の不安、嫌悪など、私の顔を見ずに入力するためか、正直に、そう感じたであろうことが並んでいました。

もし、このサービスがなく、私という存在を介さずに送られる質問と、これらの回答無しに、これ以上に私が父が考えていたことを知ろうとすることはできないだろうと思いました。そして、回答に意味を見出そうとすれば、父から何かを受け継いだであろう自分の気持ちを客観的に観察して、そこに映るものと照らして、初めて、父の回答も生きてくるだろうと思います。

私は、まだ回答を直視することも、自分の気持ちを鏡のように扱うこともできずにいます。

父について考えようとした理由

なぜ、私が父の記憶、父親とのつながりを確認しようと思ったかと言えば、母が亡くなり十年が経ち、過去のつながりについて確認できる相手が、父しかいないこと。

そして、私が離婚したばかりで、毎日会えなくなってしまった息子に対し、何を渡せばいいのか、何を伝えればいいのか、そんなことを確認したかったからです。

私には、紐解くために村上春樹さんが見つけた、猫を棄てるようなエピソードがまだ見つかっていません。

自分の中で、エピソードや親兄弟に対する気持ちが醸成するに、まだ時間がかかるのかもしれません。しかし、父と私の息子をつなぐものを私が持っている以上、いつか、綱渡りのような父のことを考える作業を行ってみようと思っています。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。