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息子と一緒に行く登山は、自分の人間性が試される

登山はこっちの人間性が試される。

といっても低山の登山のことなので、厳しい自然を相手に人間の無力さを思い知らされるといった話ではない。

息子と行く高尾山(標高599メートル)での話だ。

息子と一緒に登ると、だいたい案内板に記載してある所要時間の倍はかかる。

隙あらば山道を逸れようとする。木の枝を拾って振り回す。拾った棒や葉っぱをいじって、前を見ずに、他の登山客にぶつかりそうになる。
(息子と登山をはじめたコロナ禍では、人とすれ違うことが少なくて、あまりこういう経験はなかった)

自分の子どもの頃を思い出してみれば、木の枝を持って振り回したり、投げちゃダメって言われても小石を山中に投げたりしていたはずだ。注意はしても、こちらがキレるような話ではない。
(ものを投げるのは、直接にも間接にも登山客の危険につながるので、強めに注意はせざるを得ないけれど)

人見知りしないのはよいことだが、同年代の子が横を通り過ぎると、すぐに話しかけようとする。好意的な親子だと旅の道連れ感も出るが、どの親子もそんなに気のいい人ばかりじゃない。

激しい運動を日常的にやっているわけではなさそうなので、すぐに休憩しようとする。普段の生活で、体力がつく行動をさせていない元妻にまで怒りが沸く。私も同じ場所で生活をしていれば、一緒に動画を見て、一緒にゲームをして、無理やり運動なんかさせないだろうことはおいといて。

一度休憩をすれば、持っていったNintendo Switchを離さない。持って行かなきゃいいけど、複数人で登山をしたことがある人は延々と歩く時間に、時間を持て余す感覚を知っているだろう。暇を持て余した時にゲームをすることまで悪いとは思わない。自然を味わうなんてことは、いろいろ経験をしたり、普段、街の生活に疲れたりしている大人がする楽しみだ。

でも、こちらが疲れていたり、体力をつけさせるといった目的や、トレーニングの目標を持って登山に臨むと、一つ一つの息子の行動にイライラしてしまう。

だいたい、子どもと過ごす時間全部がそうなんだろう。

普段、息子とは一緒に住んでいないので、こういう時しか一緒に過ごせない。毎日のことじゃないので、一緒の時間くらいは楽しい時間を過ごしたい、とつい考えてしまう。一緒に過ごせるだけでもいいじゃないか。

こちらの都合で、息子との時間を削っていることもよくある。週末なのに仕事が終わっていなくて、息子のそばで仕事をすることもあるし、毎日公開しているnoteの週末分が書けていなくて、息子が漫画を読んでいる隣でnoteを書くこともある。出かける予定がない時には、酒を買ってきて、息子がゲームする後ろで飲んで、つぶれてる日もある。自分が起きている時間だけ、息子と過ごそうと決めた時間だけ、息子を教育しようとしたり、楽しい時間にしようというは虫が良すぎる。

と、頭では考えつつ、一緒に過ごす時間がいいものになればいいな、と思いながら、このnoteを書いている。息子は今「暇だから昼風呂でも入るかー」といって、先ほど溜めたお湯に浸かっているところだ。ゲームに一喜一憂したり、漫画を読んで独り言をこぼしながら笑っている様子を見るだけでも楽しい。週末だけの父親としては、とりあえず息子の息抜き担当を務めよう。

およそ月一回の登山も無理はしない。今月もおつかれ山でした。

(YAMAPの登山終了画面)

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。