自分は何でもないことでも、本気で怒る人がいるということ。
以前、タバコを吸っていた。
二十数年前、大学生のとき、私は高校時代の友人とおしゃべりをしていた。
彼は九州の大学にいて、私は東京の大学にいた。だから一緒に大阪から旅行したときの記憶だろうか。
おしゃべりの途中、私は吸っていたタバコを彼の目の前でポイっと捨てた。
彼は語気を強め、本気で怒った。
そういうことはするな、と。
今より、タバコに関するマナーはうるさくなかった。
まだポイ捨て禁止条例もなかった。だからマナーとしてよくないことはわかっていても、何か悪いことをした気もしなかったし、そのとき何かをした、という意識すらなかったと思う。
きっと私のポイ捨てが嫌な人は他にもいただろう。けど誰からもそんな注意は受けたことがなかった。いや、注意されたけど、それを受け止めていなかっただけかもしれない。
だから、単純に彼の怒りに驚いた。
そのとき、本気で怒る人がいるということを知った。
私は、その後、ポケット灰皿を持ち歩くようになった。「マナーがいいね」と言われることがよくあった。褒められると嬉しくなり増長してしまう私だったが、なぜだろう、慢心するようなことはなく、ポイ捨てするようなことはなくなった。
彼のおかげで、自分が何とも思わずやっていること、周りがよくやってることでも、本気で嫌な気分になる人がいることを、知った。そして、同時に他人の行為に寛容にもなったと思う。だって、本気で怒る人がいることを知らない人だっているわけだから(あのときの私のように)。
タバコは吸わなくなったけど、あのときの彼の怒りはよく覚えている。
いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。