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よくわからない怒りにあふれたSNS時代に「怒り方」について『論語』で学ぼう

今、一番、気になる連載は、これ(↓)

呉智英(ごちえい)さんと糸井重里さんの『論語』に関する対談だ。

これを読んでいて、ちょっと論語を読み直してみようかなと思っている。呉智英(ごちえい)さんと糸井重里さんが言う、読んだことがないわけでも、ちょっと読んでおもしろくないと放り出したわけでもない。

日本、東洋の起源にこうした思想が流れていて、ここをおさえれば、だいぶ世の中の見通しがよくなるぞ、と10代、20代の時に考えて、時々、開いていたつもりだった。

糸井
どうして呉智英さんをお呼びしたかというと、近ごろ、急に僕が『論語』をおもしろいと思い始めたことがきっかけなんです。勉強するつもりで、何冊か論語の本を読んだとき、呉智英さんの『現代人の論語』のあとがきに、ものすごく納得したんですよ。短く言わせていただくと
「『論語』は、東アジアの思想史のおおもとである。後の世で現れた思想は全部『論語』の変奏曲であると言えるのではないか」という内容ですね。

第1回『論語』は孔子の「成りあがり」?(『論語』はみんなのなかにいる)
| ほぼ日刊イトイ新聞


それは、こんなに多くの思想に影響を与えた『論語』を、多くの人が、実は「読んでいない」ということなんです。

第1回『論語』は孔子の「成りあがり」?(『論語』はみんなのなかにいる)
| ほぼ日刊イトイ新聞

でも、お二人の会話にある、弟子とのエピソードに記憶にないものがあって、いまでも癖にしているように、読みたいところをちょっとかじってわかった気になっていたんだな、と、連載がはじまってから、一人、顔を赤らめているところだ。


実際に『論語』を読んでみると、とんでもなくドラマチックなエピソードもあります。なかでも、僕はとくに好きな話があって。孔子がいた魯の隣国の衛が、権力争いで乱れていたんです。その中心人物が、衛王の后の南子(なんし)という美しい女性。愛人もたくさんいた。あるとき、孔子がその南子に呼ばれて、会いに行くんですよ。帰ってきたら、孔子の弟子の子路が
「先生、どうしてあんな悪い噂のある女性に会いに行ったんですか」と訊いたんです。すると、孔子が慌てながら「いやいやいや、私は、な‥‥南子とは何もないんだ」って言うの。

第2回 ただの「偉い人」には収まらない。(『論語』はみんなのなかにいる)
| ほぼ日刊イトイ新聞

そして、論語とその訳を読んでいただけで、解釈書を読んだことがほとんどなかった。原典にあたることも大事だけれど(読んでいた本も、一つの訳であり、解釈なので、原典ともいいがたい)、それをどう解釈するか、何通りも読んで、咀嚼する必要があったはずだ。


もともと『論語』を少し読んではいたけれども、「もっと本格的に、最初から最後まで読んで、さらに繰り返して読むということをしたほうがいいな」と、『孔子伝』を読んだときに気づきました。

第2回 ただの「偉い人」には収まらない。(『論語』はみんなのなかにいる)
| ほぼ日刊イトイ新聞

誰もが実現できることを一通りの正しい説として提供して、一通りにしか解釈できないような本なら、こんなに長く、読み継がれたりはしないし、いろんな解釈本なんて出てないはずだ。

数年前、大河ドラマで、渋沢栄一が主人公の『青天を衝け』を放送中に、ちょっとだけ渋沢栄一の『論語と算盤』を3分の1ほど読んだっきりだ。

登場する『論語』に関する本を少しずつ手に取ってみたくなっている。今、SNSで、自分に直接関係のないことで、怒りの感情にあふれ、それで気分を害したり、焚き付けられたりすることが多い。

社会にも、人間関係にも、いつも怒ってばっかりの孔子先生。でも、この人の傍になら居たいと、孔子の弟子たちが思ったように、怒りつつも、「ではどうあればいいのか?」「どう考えればいいのか?」「どう行動すればいいのだろうか?」そんなことを考える材料にしたい。


うん。僕は、孔子の思いやりの側面よりも、
むしろ「いつも、なんだかものすごく怒ってる」
というところが好きなんです(笑)。

糸井
ああー、なるほど。
ははは、言われてみればよく怒ってますね。


けっこう、めちゃくちゃなことも言うんだよ。
常にプンプン怒ってるところが僕は好きで。

第5回 地面のうえで生まれた思想。(『論語』はみんなのなかにいる)
| ほぼ日刊イトイ新聞

糸井
ただの勉強として『論語』を読むぶんには、孔子という「人間」のそばに
寄ろうとしなくてもいいんです。でも、好きだと、もっと孔子のことを知りたくなっちゃう(笑)。弟子たちが、孔子の矛盾をつくようなことも含めて、いろんなことを質問したのも、きっと孔子が好かれていたからだと思うんです。


そうだね、弟子たちはものすごく孔子を尊敬していたからね。孔子のことをもっと知りたいからこそ、「この質問をしたらなんて答えるんだろう」と思って、「先生、このあいだ言っていたことと違います」とか、突っ込みたくなったんだろうなぁ。孔子は変わった人なんだけど、やっぱり人間的な魅力みたいなものがあって「この人は只者じゃない」ということがわかります。だから弟子たちが寄ってきたんだと思う。

第6回 学びの原点は「好きだから」。(『論語』はみんなのなかにいる)
| ほぼ日刊イトイ新聞

でも、10代の時、20代の時、確かに読んだ記憶があるから、この連載について、驚いたり、頷いたり、できているのだと思う。あの頃の自分をダメなやつなんて言わず、中年の自分を立て直す、ナイスプレーだったと褒めてやりたい。

さて、紹介されていた本、どれから読んでいこうかな。

糸井
多くの『論語』本は、漢文と読み下し文のあとに内容の解説がありますが、『高校生が感動した「論語」』は違うんですよ。弟子からの口伝えではなくて、孔子本人が喋っているふうに『論語』の内容を書く、という書き方なんです。これは発明だと思いました。

例えば、「人から知識を教わるだけで自分の頭を使って考えなければ本当に理解したとは言えないし、かといって、自分一人で考えて満足してると
独断に陥っちまう。両者の兼ね合いが何とも難しいポイントだよ(佐久協『高校生が感動した「論語」』)」と書いてあったり。


孔子が「ポイント」と言っているんだ。いいねえ。

第3回 個性の光る弟子たち。(『論語』はみんなのなかにいる)
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