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京極夏彦が語る水木しげるの真髄 #ほぼ日の學校

「ほぼ日の學校」アドベントカレンダー24日目です。

京極さんの作品、全てを読んではいませんが、少し読んでいます。あの分厚い本も数作は読んでいますし、短編も好きです。「嗤う伊右衛門」はとても好きです。

水木さんでいえば、先日、話題の『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』も観てきました。

そういえば、今年、図書館で見つけたこんなんも読みましたね。

妖怪がいるとかいないとかではなく、古代から続く日本について見つめてきた水木さん、命というものの価値を戦争体験を通じて知っている水木さん、心底経験して、感じて、考えてことをエンタメに昇華した水木さんと、影響を受けて、別の上質なエンタメを作った京極さんに興味がありました。

で、京極さんのインタビューを視聴したんですけど、水木さんとの出会いから、京極さんの感じ方から、かなり愉快なインタビューになっています。水木さん、京極さんのどちらか、もしくは、お二人の作品のいずれかに興味がある方は、ぜひ視聴しましょう。

授業紹介

京極さん、水木しげるさんのことたっぷり聞かせてください
京極夏彦 (小説家、意匠家)

今回登場いただく京極夏彦さんは、幼いころから水木ワールドに深く惹きこまれていたといいます。そして、作家デビュー前に水木さんから、「うちで働きませんか?」と声も掛けられていたという京極さん。
そんな京極さんにとって師匠であり妖怪仲間でもあった水木しげるさんについて、その愛すべきひととなりから生み出された妖怪たちのことまで、たっぷりと語っていただきました。
2015年に93歳で亡くなられた水木さんのミーム、すなわち文化的遺伝情報は、目に見えない妖怪たちのように、今も世界に広がりつづけています。
さあ、そんな水木さんについての京極さんの授業、いざ、はじまりはじまり~!

京極さん、水木しげるさんのことたっぷり聞かせてください | 京極夏彦 | ほぼ日の學校 (1101.com)

京極さんの水木さんとの出会い

京極さん、なんと北海道のご出身なんですね! 前にも一度、同じ事実におどろいた気がします。あれだけ日本の古い価値観と社会をご存じだから、古都の近くに住まわれてんじゃないかと思ってしまいます。

いわゆる日本の風景のない北海道に育った京極さんですが、子どもの頃、水木さんの描く日本の風景に懐かしさを覚えたそうです。でも、作品には興味があっても、作家には興味がなかった。それは水木さんだけじゃなく、他の作家さんに対しても。

バブル崩壊で、自分が仕事をしているデザイン業界が大変な状況になります。そんな時期に、水木さんの作品集に出会います。

京極
『水木しげる叢書』という作品集を
青林堂がそれまで復刻されることの
限りなく少なかった貸本作品を
全十巻で予約限定販売いたしますと

いいじゃんと思って申し込んで

月報が入ってた
月報にね関東水木会という
どう考えてもね堅気の名前じゃないでしょ

関東近郊の水木さんが好きな人
連絡乞うみたいなこと書いてあったから
魔が差したんですかね連絡したんですよ

僕の知らないことも
知ってるんじゃないかなと思って
僕は参加したんですよ
書誌情報をきっちり調べてる人がいたら
もし僕が知らない本が
あったら知りたいじゃないですか

単行本未収録の雑誌があって
そこに載ってる漫画があったら
読みたいじゃないですか

そういう自分の持っている情報を
補完することができるんじゃないかなと思ったんで

水木さんに近づこうと思った
という気持ちはぜんぜんないんです

関東水木会の方と境港の水木ロードに行った際、京極さんが撮って、自ら編集したホームビデオが、水木さんの手に渡り、水木さんに呼び出されたそうです。水木さんに頼まれ、水木さんが持つ8ミリフィルムをすべてビデオに落として編集した結果、ついには、水木さんのアシスタントになってほしいという話が持ちかけられます。実は、このタイミングで小説家デビューが決まっていて、お断りすることになりますが、ここから長いお付き合いが始まったそうです。

水木さんのこと

ぼーっとしている印象がありますが、実は頭の回転が速く、人間観察眼が優れていたそうです。本人も頭の良さを周りにアピールする意義が見いだせず、周りの方もぼーっとした方だと思ってるが、とても頭のいい方だったそうです。

戦争体験や貸本時代の苦労から、太った人(たくさん食べる人)が好きだったり、血筋や財産持ちや格式なんか、一切に気にしてなかったり、独特の基準を持たれていたそうです。

京極
「あんた幸せっていうのは隠さにゃダメですよ」と
僕に言うんです
「隠さなかったら大変なことになりますよ」

水木さんは幸せをずっと隠してきた
なぜかと言うと仕事なんてものは
実は水木さんの場合はちゃっとできるわけです

ただ世間的には 眉間に皺を立てて
必死でやってるふりを
せにゃいかんのですよ
そうしてないと
あいつは楽して儲けていると
思われるから嫌われます
儲けてるだけでも妬まれます
金はないふりをせにゃいかんですよと

京極
「怠け者になりなさい」と言った
舌の根も乾かぬうちに「働かなきゃ餓死ですよ」と言う

どっちなんだよって話じゃないですか

でも基本的にはいろいろな解釈できるんですけど
怠け者になってもいいぐらいの
ポジションを自分で獲得しろ
ってことなんだよね 本来的には

好きなことだけやれ、ということも言われたそうですが、それも、好きなことだけやっていけるポジションを獲得しろ、ということだと京極さんは考えているそうです。

水木さんがやったこと

京極
水木さんが亡くなった後に
水木さんの日記とかメモが出てきて
僕は全部検証したんですけど
ものすごいきちっとね
何度も書いてある言葉があるんですよ
「読者が一番」

自分が何を表現したいかとか
自分がこういう人間だとかっていう以前に
読んでくれる人を一番に考えなきゃいけない

だけど自分が描きたくないもので
喜ばれてもしょうがない
そこがパラドックスじゃないですか
でもそこはコロンブスの卵だよね

自分が好きなものを読者に喜んでもらえるように
すればいいんだ そこに気づいたんですね
それが日本における妖怪文化の娯楽的展開の
一番大きな起爆剤だったと思います

ウケないと言われた妖怪をウケるようにするには、どうすればいいか。
例えば、柳田国男さんも書いている「ぬりかべ」という、歩こうとしても前に進めない現象が昔からあったとされる。これをどうすればよいか。

ああ、私はそう思った
私の現象はこれだと思った
膝を打ちました

そこまではいいんですけど
それを絵に描くとなると
難しいじゃないですか

目に見えないものだから
パントマイムでこんなになってる
絵描いたってダメでしょ

漫画だったらいいですよ
「進めなくなった」と
セリフ言えばいいんだから

絵にだけするというのは
すごく難しいことです

そこに「抽象を具象化する」っていう行為が出てくるわけだけど
そこで何を選んだら
どういう人にどのように
受け取られるかっていうのを
水木さんはよく知っているわけですよ

「これは日本に古くから伝わっている妖怪だ」っぽい絵が
描けるわけですよ水木さん

感想

水木さんのところでアルバイトもしていた漫画評論家の呉 智英(くれ ともふさ ご・ちえい)さんは、水木先生の一番の作品は、水木さん自身だったとおっしゃったそうです。

私は、これまで、あまり先輩から直接学ぼうという姿勢がありませんでした。よっぽどお世話になった方や大尊敬するような方に出会ってないこともありますが、どこか他人は他人というマインドなんだと思います。

でも、京極さんにとっての水木さんのように、すごく魅力がある先輩はいるのだから、もうちょっと人から学ぶことをしてみようかなということを思いました。

ほぼ日の學校を通じでだけでも、これだけたくさんの人から教えを受けているのだから、もう少し、諸先輩方から直接学んでみようかな。

京極
僕も荒俣さんも「弟子だ」と
言ってるけど 歳がすごく上の友達
みたいな感じで付き合ってたから

ご家族の知らないところも
知ってることはあると思いますけど

水木しげるっていう人が
全部そうだというふうに
断言するのはどうかと思いますが
愉快な人でしたよ

こびへつらうではなく、おもしろい先輩にもっと近づいみたいと思った京極さんのインタビューでした。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。