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私の秘密、唯一出し惜しみしていること

私の基本行動方針として「どんなことにも出し惜しみはしない」がある。

仕事で、毎月、シリーズとして書く記事も、読者が一番興味を惹くだろうこと、鮮度がいいものを選んで、記事にしている。来月のことは知ったこっちゃない。noteは、毎日書いているので、日を跨ぐ時間までに書けることに限られるが、今、読んでもらえそうなものから順番に投稿している。週末は、例外で、一緒に暮らしたい人たちと過ごす時間なので、決まったネタになることがほとんどだけれど。

基本、ネタの出し惜しみはしない。

それでもおもしろくないのは、一番いいネタでも、ネタとしておもしろくない、もしくは、そのネタを体を通して発信する私自身がおもしろくないからだ。

正直、現状の実力で、出し惜しみをしてもしょうがないと思っている。

大事なネタを外に出して、ネタがゼロになって、次に、体の底にあるもの、体に埋まったものから掘り起こす。ひねり出す。今の一番のネタに対してフィードバックがもらえるから、次のネタも少しはいいものにできるような気がする。

しかし、実は一つだけ、出し惜しみしているものがある。

息子を詠んだ短歌だ。

短歌を詠むことがうまくなったら、これまで息子を詠んだ短歌をまとめて、その時の精一杯の力で推敲をして、短歌結社の新人賞に出そうと思っていたからだ。それは私のとっておきの経験だから。

でも短歌を詠み始めて4年半、一向にうまくなる気配がない。

いつものように出し惜しみして、結社に送る歌を選んでいた時、この募集を見かけた。

最初、自分がファンとして推し活動してるものってあったっけ? と思い出して、過去に詠んだ歌を眺めていて、息子を詠んだ短歌、息子との関係を詠んだ歌が、目に留まった。

ファンとしての推し活動ではないけれど、私にとっての最推しだ。
今の一番を出さないと、それに対するフィードバックはいつまでも得られない。

私が好きな漫画『ベルセルク』にこんなシーンがある。

剣の達人ガッツに稽古をつけてもらっている少年イシドロ。自分なりに考えた工夫で、剣先がガッツの体に触れるまでになった。しかし、こんな付け焼き刃な剣法でいいのかと不安になり、ガッツに尋ねる。

イシドロ
「なあ ほんとにいいのか?これで」

ガッツ
「なにが?」

イシドロ
「普通修行っていや長い時間をかけて基本を繰り返したり技を伝授したりするもんじゃねェのか? いいのかよ? シロウトのオレがこんな思いつきの即席戦法身につけちまって」

ガッツ
「基礎なら毎日やってんじゃねェか」

イシドロ
「けどよォ!」

ガッツ
「第一お前がオレのマネしたところで始まんねえだろ?
 ガタイが違や 戦い方も違うってもんだ」

イシドロ「・・・」

ガッツ
「それともお前何十年も修行して 達人にでもなるのを待ってから戦場に出るつもりか? 気の長ェ話だな」

イシドロ
「そ そんなつもりはねえ!!」

ガッツ
「だったら 今 手持ちのコマでやりくりするしかねェだろ」

『ベルセルク(24)』©2002 三浦建太郎/白泉社

そう、今の手持ちでやりくりするより他、上達の術はないのだ。

推し短歌に、息子を詠んだ短歌を集めて、推敲して投稿してみようと思う。

息子を詠んだ短歌、息子との関係を詠んだ短歌はたくさんある。選歌にも時間がかかるし、もし、読まれそうな短歌がたくさん残れば、推敲にも時間がかかるだろう。まずは今晩、息子に関して詠んだ歌を抜き出すところから。

息子の短歌を投稿するのに時間かかりそうなら、他に私が詠んだ短歌の中で目に付いた「カレー」について、 #推し短歌 を投稿しようかな。


いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。