見出し画像

『イマジナシオン』のPartⅡ,Ⅲで好きだった短歌

2022年12月の誕生日にもらった歌集『イマジナシオン』

一気に読むのがもったいなくて、少しずつ読んでいる。Ⅰ~Ⅴにパートが分かれていて、Ⅱ、Ⅲまで読んだところ。気になった歌をちょっとメモ。

きみもまた降りるイメージで語るのか螺旋階段を死に喩えれば

『イマジナシオン (新鋭短歌シリーズ)』©2022 toron*/書肆侃侃房

そう、こういう普段語らない死生観のようなことに、実は、人によってまちまちなことがある。死が土と結びついていれば、死は下降していくイメージだろうし、天に召されるものならば、上昇するものかもしれない。一緒に暮らしている相手、後に別れたであろう相手との違いの一つとして詠まれた歌。笑い、感動した映画、他人への親切心、みたいに話題にされやすいものだけじゃなく、実は、こんなところに合う・合わないの違いに現れるのかもしれない。


短歌は、言葉の巧みさよりも、あ、ここ切り取っちゃう?! という視点のほうがおもしろさに直結している。特に、散文、日記のままだったとしても、詩や短歌になってしまういい例として3首。

きのうまで別の誰かの場所だった回転椅子を一段上げる

久々の定時退社でこの部屋の窓が西向きだったと気づく

冷ややかに星は輝く何ひとつ為し得なかった日の黒ラベル

『イマジナシオン (新鋭短歌シリーズ)』©2022 toron*/書肆侃侃房

特に、黒ラベルの星なんて、別に飲む人を称賛するものではないただのデザインだけれど、賞のラベルだと思ってしまえば、何も得られなかった今日、こんなラベルを見せられても… と確かに立ち止まってしまうかもしれない。

消毒のあともあなたと手を繋ぐこの世に舫(もや)われた舟として

『イマジナシオン (新鋭短歌シリーズ)』©2022 toron*/書肆侃侃房

コロナ禍で誰かと手を繋いだ時、消毒した手と手をつなぐことに、一瞬、ひっかかったことがある。でも、私はそれを言葉にすることはなかった。世界に舫われている、そんな理由で繋いでるなんてわけもないと思うけれど、“舫う” なんて詩や短歌でしか使わない言葉に惹かれて、そうかもしれないと思わせられた。私自身もひっかかった瞬間なのに、言葉にできなかったことを歌にされて、ああ、やられたな、と思ってしまった一首。

引き続き、ゆっくり楽しみます。

誕生日にもらった歌集すこしずつほどいて生のヨロコビを食む


Ⅳ、Ⅴの感想


いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。