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ヒーローズ・ジャーニーと私の人生:メンターは誰だったのか?

『100分 de 名著』を見ています。

冒頭、オープニングの音楽と映像が流れた後、
「100分 de 名著、司会の伊集院 光です」
「安部 みちこです」

とお二人が言った後、間髪入れず、
「のーどみたかひろです」
と声に出し、気持ちの上では二人の間の席に座り、出演者として参加しているくらい、ハマっている番組です。

千の顔をもつ英雄

今は、『千の顔をもつ英雄』を扱っているところ。

物語を作ろうと苦心している今の私にとって、物語の類型を学ぶには必読書です。書籍の存在は昔から知っていましたし、そういう物語の類型があることは知っていました。まだ読んではいませんが、過去に何度も、物語の類型を検索したことはあります。

ヒーローズ・ジャーニーを自分の人生にあてはめる

番組の中で伊集院さんが、自分の人生に当てはめて、メンターの話をされていました。ヒーローの物語では「賢者との出会い」に登場する存在ですね。ヒーローにとっての導き手です。『スター・ウォーズ』シリーズに登場するヨーダです。

多くの経験を持った存在のため、多くは老人の姿で、実際の人生においても、伊集院さんは、本屋のおじさん(実は、師匠の師匠の弟さん)をメンターだったと言い、安部 みちこさんも、近所のおばさんだったかもしれないと話していました。

今回は、物語を作る参考のために、見ているところでしたが、果たして、自分の人生にとってのメンターは誰だったのか? を考えているうちに『千の顔をもつ英雄』の第二回が終了してしまいました。

私のメンターは誰だったのか?

考え始めてすぐに、行き詰まりました。

例えば、番組にも登場した「釈迦」の話であれば、悟りを開いて、入滅することがゴールでしょう。冒険に出ることも、出家後の苦労も、悟りを開き、教えを広めるための過程だとわかります。

伊集院さんの場合も、まだ本当のゴールを迎えてはいないかもしれませんが、芸人として成功している状況が一つのゴールだと考えるとわかりやすいでしょう。

でも、私の場合、自分のゴールがわかりません。

20年近く、システムエンジニアとして仕事をして、その後、ここ数年は「書く仕事」「編集する」仕事をマーケティング部としてはじめたことで、今は、マーケティングの仕事としては二社目、「書く仕事」に重点を置くマーケターです。仕事での大きな成果も特になく、書くことは好きですが、本職のライターさんほどの質は担保できず、書くことにも時間がかかります。

まず、私の物語で、冒険に出たのはいつでしょう?

これは、私にとって、明らかだと感じています。

それは「数学」を志した時です。学校で過ごすことがつらい中学時代、一人で悶々としていた時、脳内を去来する言葉の多くが、宗教や哲学に使われる言葉でした。そこから哲学者の言葉を探していきました。うわべだけの言葉しか拾えなかったのでしょうがないことですが、哲学者は言葉を新しく定義して抽象概念をもてあそんでいるだけに見えてしまいました。その後、哲学者のプロフィールで「哲学者・数学者」というデカルトを見つけて、抽象的でも、概念を正確に定義できそうな数学を志すことに決めたわけです。数学で食べていくと決めたことが冒険のはじまりでしょう。悩みを抱えた少年が、人間にとっての真理を追究しようとする冒険のはじまりです。

といっても、40歳代後半の現在、「人間にとっての真理の追究する」ゴールなんてかけらも見えないので、おそらく私の物語のタイトルは、十代の頃とは違っているでしょう。

では、私にとってメンターとは誰でしょう?

もし冒険の時に背中を押してくれた人というなら、それは母かもしれません。

数学を志すことを決めたのはいいものの、金にならないことを志すことを公言することがかっこ悪い、恥ずかしいことのように感じていました。当時はまだ、一般の人にとっては数学教師くらいしか数学科の将来はイメージしにくかったからです。今なら、AIもあるので、数学を専門にする人は引く手あまたかもしれません。

高校一年生の時、洗濯物を畳む母の背中に向かって意を決して「数学科に行こうと思うんだ」といった時、「へー」と言われて、拍子抜けしました。ただ真理を追究するために必要だったというだけで、数学が苦手だったので、それで勉強がはかどったわけではありません。それでも、数学科に行くことについて、何の悩みもなくなったことは事実です。

その後、なんやかんやあって、ギリギリ研究者も出せそうな大学の数学科に入りますが、大学四年で大学院への進学を断念します。次に目指したのがエンジニアでした。

数学の研究者にはなれないことが確定した後、では次は何を目指せば? と考えました。小学校の頃まで記憶を遡り、ロボットが作りたかったことを思い出しました。「Dr.スランプ」のドクター・マシリトですね。最強とはいえ、たった一体のロボットを作った千兵衛さんより、崖の上の家で、ロボットを作り続けられるマシリトに憧れました。

が、私が大学を卒業した当時、ロボットを作っている企業なんて、ごくごく少数。自分の所属した学科が工学系でもなかったので、行く先はありませんでした。その数年先なら、おもちゃとしても商品化が増えた時代が到来するので、まだ可能性はあったかもしれません。


ソフトウェアを作ることも、ものづくりか、と思い直し、数学科ではプログラミングの経験もあったので、システムエンジニアの道に入ったわけです。

この決断をした時は、4年生の夏に研究者を断念して、周りのように就職活動もできていなかったので、結局、卒業したあと、一人で就職活動をしました。システムエンジニアになることも決めた時も、就職活動中も、周りに誰もおらず相談できませんでした。卒業後の秋(当時めずらしい秋入社)、会社に入るまでの一年、よく孤独に耐えたなと思います。ちょうど4年の夏から秋にかけて、当時付き合っていた彼女とも別れていたので、本当に一人でした。

この時期から、システムエンジニアとしての20年、ずっと苦悩の時期だったかもしれません。

そういえば、システムエンジニアとして二社目、母が亡くなった時期に、これまでの社内の業務向けのシステムとは別に、個人向けのサービスを作ろうと考えました。母の死は急だったので、この時に母から何か言葉をもらったわけではありませんが、母の死の後に方向が決まったのは、やはり母が時々現れる私のメンター(導き手)だったのかもしれません。

その後、母が亡くなった後、三社目は個人向けのサービスに仕事として関わり、自分でも個人向けのサービスを企画して、そして頓挫して…。

システムエンジニア時代に時々書いていた記事がある人の目にとまり、今の書く仕事がスタートし、マーケティングの世界に入ったのでした。もし私の物語を小説として書くのであれば、亡くなった母の霊が、この時に目をとめてくれた女性の肩にいるようなシーンを書くかもしれません。

今後、私の物語はどのように進むのか?

もう導き手である母がいない今、私の物語はどう進行していくんでしょう?

すでにヒーローズ・ジャーニーでいう関門は突破しているのでしょうか?

最大の試練はもう攻略したのでしょうか?

まだこれから訪れるのでしょうか??

そうか、試練を超えれば、報酬(宝物)があるはずですよね。報酬を得ていないので、まだ試練はやってきていないのか… まじか…… そんな楽な人生じゃなかったぞ…。

でも考えた結果、まさか身近な母が導き手かもしれなかったとは思いませんでした。

メンターを失っても、私の冒険は続きます。ほんと楽な人生じゃなかったので、最大の試練はすごく簡単なやつでお願いしますね。報酬も、伝説の武器・宝具や、金銀財宝じゃなくて結構ですので。。。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。