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『O脚の膝』で気になった歌10首あまり

なんで読むことにしたんだっけ?『O脚の膝』。
歌集を検索して、Kindle Unlimitedで無料で読める歌集だったからだろうか。

字余り、字足らず、句またがりもある。
定型の歌のほうが安心するし、歌集全体として破調するものが少ないほうがいいと感じるほうだけれど、『O脚の膝』には、そうじゃない歌がたくさんある。それがひらがなで、改行があって、逆に改行なく文字列が続いている。でも形として、場面として、どうやっても目に留まる歌が並んでいる。

破調をおそれないのに、ちゃんと助詞は残していたりする。
普段の言葉を大事に使ってるから、助詞一つが削れずに残っているんだと思った。

目にとまった歌(10首とちょっと)

家庭内別居というとき
とうさんの目はそんなにも渇いていない
『O脚の膝』©2013 今橋愛

実は世間が思うほど(家庭内)別居は不幸ではない… こともある。
どうにも修復できないのに、無理やり仲良くしなくてはいけないことのほうが不幸で、つらい。仲良くできていないのに、「仲良くやってます」という時に、人は渇いた目をすると思う。家庭内別居、離婚を経験した者としての感想。

としとったひともわかいひともふまじめもまじめもせいきがついたらおとこ
『O脚の膝』©2013 今橋愛

『O脚の膝』は、ひらがなが多い。でもこれは、ちょっとひっかかった。
「年取った人も若い人も不真面目も真面目も 性器がついたらオトコ」
じゃダメなのかしら。今橋さんは、きっとこうはしないだろうけど、これでもいい歌な気がする。人によって肯定的にも、否定的にも捉えられる歌。そうか、“性器” が漢字だと生々しいかもしれない。否定的に感じる人が多くなるかもしれない。

地下鉄に 地下街に 地上に それぞれのきまりがあって
やすまりません
『O脚の膝』©2013 今橋愛

そうそう。どこの場所にも、ルールやマナーがある。自分が得意や、居心地がいい場所でなら、そんなに苦しくもないんだけど、どうやったって、なじめない通学路、通勤路を使って生活する時期があったりする。今橋さんは、大阪生まれ。私の知る福岡の地下街や、都内とはまた違うんだろう。行き交う人のせわしなさに、もっと窮屈な思いをすることがあるのかもしれない、大阪は。

まいちゃんのたてぶえなめたかさいくん
谷町線でぐうぐう寝てた
『O脚の膝』©2013 今橋愛

そんなん言わんでも。
かさいくんは、寝てた。でもかさいくんと識別はできるけど、何の思い出もない、かさいくん。縦笛を舐めたという情報しか知らないかさいくん。まったくの他人が寝ているシーンとは違う。知ってるけど、距離のあるかさいくんが、紫の車両が走る谷町線で寝てたのだ。相手の距離感とシーンが混ざったから成立する。かさいくん、縦笛舐めたかさいくん。

長い手と足と髪の毛と意思的なことばをもった
おんな          だいてる

長い手と足と髪の毛と意思的なことばをもった
おんな          かなしい
『O脚の膝』©2013 今橋愛

構成要素を並べる歌をたまに見かける。よく見るから慣れているだけで、すごく目に留まるわけでもないのに、同じ言葉の並びが『O脚の膝』の中に二首あったので、どうやっても目に留まってしまった。今橋さん自身のことだろうか。そういえば自分のことを詠む時に、自分の特徴を歌の中に書いたことがないかもしれない。主体だから不要にしてたけれど、読む人が詠み手のことを知ってるわけじゃない。二首目は、「おんな かなしい」というだけなのに、そこに意思的なことばを持った人間を想像せざるを得ない。自分の出来事を詠んだ歌の中に、自分の特徴をちょっと入れてみよう。印象が変わるかな。

せつめいのつかないこころひとつあり
まよなかしめじのふさをさいてる
『O脚の膝』©2013 今橋愛

つらいことがある時は、料理をする気も起きないことがあるが、ちょっとモヤっとするときに、料理をしていると、それと直接向き合わずに済む時間が作れる。「大根を切る」でも、「じゃがいもの皮を剥く」でもいいはずなんだけど、ぼんやりしてても、事故らない、「ふさを割く」という行為がちょうどよかった。

浴室でおこりうるかぎりつくしたって
あに、いもうとよりずっとせいけつ
『O脚の膝』©2013 今橋愛

生理のことかな、と思う。「おこりうるかぎりをつくした」なら、さすがに妹のほうが清潔な気がするが、男性に生まれてしまったので、出血への感じ方がわからない。不潔とまで言わないけれど、兄のほうが清潔という比較で、ちょっとわかった気にさせられた。

あったときわらってはなすきりがない
かえりみちのぺだるかなしい
『O脚の膝』©2013 今橋愛

友人と楽しく語らい、一人で帰るときの悲しさったらない。でも、それを「ペダルかなしい」と言っちゃうのはおもしろい。本人が悲しいとは言わず、「ペダルかなしい」というと、心が悲しくて、踏み込むペダルが重くなる感じも伝わる。こういうことを言いたいし、詠みたい。パーカーのフードがかなしかったり、鍋が泣いたり、いろいろさせてみたい。

なきながらいきます
信号やらいとが
ときどきくらげのようにみえます
『O脚の膝』©2013 今橋愛

泣いたことがある人は、ちょっとわかる感じ。
くらげのようとは思ったことはなかったかもしれないが、ぼんやりと広がるライト、ぼんやりとした夜景を思い出す。なぜ、あの時は、涙を拭かないのだろう。「なきながらいく」んだな、一人の時は。涙を拭かずに、行くんだな。

あらすじがみえないころのあなたとのせっくすきっとたからものです
『O脚の膝』©2013 今橋愛

付き合いだして、形が決まりだしたセックスは、義務になってしまったり、必ずしないといけない行為が挟まったりする。セックスから、楽しさやドキドキは失われるかもしれない。男性は、最初のセックスを楽しい記憶として残している人が多い気がするが、女性もそうだったのかと感じた。“らいとのした” ではじまるキスの歌もそう。最初の相手がどう動くかわからない、付き合いだす前の、不完全でも、確実に気持ちのいいキスやセックスが切り取られていていい。

『O脚の膝』の感想

やっぱりひらがなにする理由がよくわからない。もちろん、漢字やカタカナにしてしまうことで失われる感覚もあるのだけれど、『O脚の膝』を短い時間で、二周読んだだけではわからなかった。もっと今橋さんの歌を読んでみたい。やっぱり、何でもない生活を、他人との関係性や、特殊な場面でうまく切り取ってる歌が好きだ。それが独特の表現だと、余計に嬉しい。「ぺだるかなしい」とか。今橋さんの他の歌集じゃなく、しばらく時間をおいて、『O脚の膝』を読んでみるのもいいかもしれない。不思議な感覚を覚えた時間になりました。ありがとうございます。


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