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外国人依存度にみる日本の将来と歌心

外国人依存度(和歌山、東京)

レジャー施設の多い和歌山県白浜町で、外国人労働者が欠かせない存在となりつつある、という記事。

17年に和歌山県で働く外国人は2260人。215人に1人の割合で、依存度の伸びは近畿2府4県で最高だった。業種別(15年)では特に「宿泊、飲食サービス業」が高く、68人に1人だ。

ん?  そんなもんか??
私は、今、東京都に住んでいる。

東京都は「18人に1人」

うん、そうだろう。
観光地近くに住んでいるため、もっともっと割合が高い実感がある。観光地の飲食店は、外国人観光客の応対ができる外国人が店員のほうが接客もスムーズだ。少子高齢化での労働者確保には、不可欠だろう。

話は、今の労働者市場だけに止まらない。

私が子どものとき、社会科の資料集で見た日本に関する右肩上がりのグラフを息子は見ることがないだろう。多額の借金を抱えた国で、将来に渡って自分が守れない我が子のことを考えるとき、彼には、他国で働いたり、生活ができるようになっていてほしいと思う。

彼の教育について親として判断するとき、きっと、そういう考えを前提とするだろう。国の維持より、我が子の未来だ。

これから起こる未来

同じ日の朝刊、三浦知良さん(カズ)の連載「サッカー人として」に、イタリアではリーグ戦で外国人に頼りすぎ、いい若手が育たなくなった、という話が出ていた。人気スポーツのナショナルチームでは、それでも何とか育成しようとするだろうが、人気スポーツ以外では、ナショナリズムの発揚としてのスポーツが成立しなくなるだろう。

さらに外国人が増えれば、一時期話題になった「英語公用語化」企業のように、地域によっては、英語、もしくは、中国語が主要なコミュニケーション言語となるだろう。

日本人の歌の心

私は、今、毎日短歌を詠んでいる。

先日、日本はすごい! ということをピーター・マクミラン先生に教えていただいた。日本全国、津々浦々、歌を詠める人がいる。こんなことは他の国ではない。
1,600年、ほとんど形を変えないものを受け継いでいる。

しかし、少子高齢化の先には、その伝えてきたものがなくなる可能性があるのだ。歌の心は、例えば百年、他の言語で受け継ぐことができたとしても、きっと歌という表現形式は、1千年と残らないだろう・・

それでも自分の哀愁だけで、判断を間違うことはない。子どもの親として、彼が異国の地であっても、ハッピーな人生を切り開くことができるように接していくつもりだ。

ただ、いざというとき、息子に大事にしていたことを伝えられる手段として、歌を詠み続けようと思う。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。