日曜23時の徒労感… 習慣が私を支える
一人暮らしをしていた時は、自分の機嫌だけ取れば済んでいたけれど、同居の配偶者がいればそうもいかない。自分の機嫌をまぁまぁ取りつつ、相手のことを考えて、無理をしてても、一年くらい継続できる状態に自分を整えないといけない。
自分の中の葛藤や、相手との意見の対立、望ましい状況と現状の差異があるけれど、避けられない制約を意識して、その制約の中で、どうやって一番いい答えに近づけるかを考えて、行動している。
最近、うまくやれていると思っていたけれど、それが全然うまくいってないとわかった日曜23時の徒労感…
ちょっとどうしていいかわからない。
どうしていいかわからない時に、習慣のあることに助けられる。今日も、詩と評論・エッセイと、短い物語を摂取して、短歌を詠んで、noteを書くだろう。どれも倒れそうな自分を支えるために始めたことではないけれど。
そういえば、四年前に離婚した時は、短歌を始めたばかりのころだった。一日一首をノルマにしていたので、こんなつらい時に、言葉を探すなんてムリでしょ、と何度思ったことか。前職をやめた時も、詳細は書いていないけれど、noteに気持ちを書きつけることに支えられていた気がする。
もしこれまでの言葉の蓄積があって、才能もあって、うまく短歌が詠めて、他人に評価までされたら、自己肯定感まで爆上がりするだろうけど、世の中そんなに甘くない。とりあえず、倒れ込みそうな自分を支える杖、痛みを軽減するサポーターが手元にあるというだけで、ずいぶんとマシな気がする。
昼休み、これを書いていて、ちょっと気分が楽になった。今日は、配偶者のことも、会社の同僚のことも気にかけていられないけれど、まずは、自分の体の声を聞いて、呼吸を整えて、立ち上がろう。声を聞く、呼吸を整えるが先にあることは、先日、井上尚弥戦でモンスター自身が1Rに見せてくれたことだ。
いきなり立ち上がれば、状況が把握できないままに、あらぬ方向からパンチをもらって、もう二度と立ち上がれなくなるだろう。10カウント一杯(仕事や家事の期限)まで、自分の声を聞き、呼吸を整えよう。
子育ては2R目かもしれないが、二度目の結婚生活は1R開始直後、まだ、どちらも終了のリングの音を聞きたくはない。ただ人生はまだ4回戦。これまで勝ちは拾えなかったが、引退もしたくないので、できればまだ試合を続けさせてほしいところ。
いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。