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岡野弘彦先生から歌の心得を学ぶ

はぁ、ありがたい時間だった。

今日は、風邪も引かず、参加できてよかった。
ほぼ日の学校 第三回は、岡野弘彦先生の講義。
今年96歳になられるそう。

岡野先生の講義を受けた、というのは、これから先、自慢してもいいことだと思う。

講師陣の中でも、間違いなく、特別なレジェンドのお一人だろう。
ただ、本当のすごさはまだわかってない。シェイクスピアのときも、講師陣のすごさは、後になるまでわからなかった。

岡野先生は、あの折口信夫を看取った方だ。
そして、歌人としての実績もすごい。皇室の方々に和歌のご指導をされる立場の方でもある。

私は、恥ずかしながら、岡野先生の経歴、そのお人柄については、事前に行われた河野学校長による茶話会で知った。

茶話会で学校長の話を聞き、今回の講義が楽しみでしかたなかった。
今日、会社を出るとき、この歌を詠んだ。

会ひたくて仕事残して学校へ そぞろな気持ちグッと飲み込む

今日は、そのすごい先生からの大伴家持の歌の講義だ。

しかし、大伴家持の歌よりも、歌を詠み出して半月の私が、今も毎日、たくさんの歌を詠まれる岡野先生から、歌詠みの心がけを聞けたことが何よりだった。
(たった半月の人間が、岡野先生から直接お話を伺えるなんて、もったいないとしか言えない・・)

先生の穏やかな声を聞いて、最初、頭の芯がじーんとなって、ぼぉっとしていたが、歌詠みの心構えを聞くうち、単に5、7に収めるだけの短歌を作っていたことを思って、すごく恥ずかしくなった。講義の最中、これを詠んだ。

言の葉を大事にしたとおっしゃった。あゝおろそかに つかうを恥じる

もういろいろ刺さった。

「読んだ人が感動するものにしないといけない」
「声を出してよむ習慣をつけるとよい(歌には調べがある)」
「推敲も楽しい。推敲できないと本当じゃない(時を変え場所を変え推敲)」
「読むときは、制作者の気持ちになって読む」
「歌だけでなく、古典に親しむ(歌の題材に気づく)」
「旅をする(新鮮な気持ちを得るため)」

“とりあえず作る”という行為が、本当に恥ずかしくなった。
そして、これも詠んだ。

恥じ入って歌を辞めんとすら思う。日々歌を詠み、ことば大事にす

たった一ヶ月くらいで、始めようと思ったり、やめようと思ったり。
ジェットコースターのようだ。

けど、歌の講義、心構えを聞いた講義の最後に、
「いい歌を永くつくることをお願いします」
とおっしゃられた・・

もう、何というか、講義を聞いたものとして、これは詠み続けないといけないんじゃないか、と感じた。

まだ始めたばかりだけど、しばらく続ける決心はした。きっと歌を詠み続けても、岡野先生に歌を披露する機会はないだろう。
でも一首くらいは、誰かの心を揺さぶり、きっと先生も感心してくださるだろうと感じる歌ができたら、いつかできたら、と思う。

ご講義、ありがとうございました。


今回の講義の前に

以下の本を講義の予習として手元に取り寄せたが、めずらしく、一冊も読み終わらず、講義の日が来てしまった。
(歌集はしょうがないとして)

岡野先生を想って、ちゃんと読みます。


他に、万葉集を知るために、こちらを予習。
これは4巻まで読んだ。

3巻は壬申の乱まで。4巻、十市、武市、讚良の気持ちが、マジでしんどい・・



いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。