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お酒と私 詩人になれなかった私が向き合うお酒との関係

今のところ、そこまで本気ではないけれど、ちょっとだけ「酒を止めてみようか」という気分が湧いてきている。昔から家に置いてあったこの本を見つけてきて、今、手元に置いている。

李白のように、酒を飲んで、人生の悲哀を詩に書きつける生き方に憧れていた。以下の二つの詩は、酒に対する向き合い方の頂点にある。友人と飲む酒、一人で飲む酒、酒が、乾いた人生をとくとくと満たしてくれる。

山中にて幽人と対酌す(さんちゅうにてゆうじんとたいしゃくす) 李白

両人対酌すれば 山花開く(りょうじんたいしゃくすれば さんかひらく)
一杯一杯 復た一杯(いっぱいいっぱい またいっぱい)
我酔うて眠らんと欲す 卿且く去れ(われようてねむらんとほっす きみしばらくされ)
明朝 意あらば琴を抱いて来れ(みょうちょう いあらばことをいだいてきたれ)

友人と酒を飲み、楽しさもてっぺん。でも眠くなってしまったから、君は帰れ、という傲慢と、また楽しい時を過ごそうという気持ち。次に来る時に、琴を抱いて来いという傲慢。友も酒も人生も楽しい。

一人飲みの頂点はこれ(↓)。

月下の独酌《げっかのどくしゃく》 李白

花間 一壷の酒(かかん いっこのさけ)
独り酌んで相親しむもの無し(ひとりくんであいしたしむものなし)
杯を挙げて名月を迎え(さかずきをあげて めいげつをむかえ)
影に対して三人と成る(かげにたいしてさんにんとなる)
月 既に飲を解せず(つき すでにいんをかいせず)
影 徒に我が身に随う(かげ いたずらにわがみにしたがう)
暫く月と影とを伴いて(しばらくつきとかげとをともないて)
行楽須らく春に及ぶべし(こうらくすべからく はるにおよぶべし)
我歌えば月 徘徊し(われうたえば つきはいかいし)
我舞えば影 零乱(われまえばつきれいらん)
醒むる時ともに交歓し(さむるときともにこうかんし)
酔うて後は各々分散す(ようてのちは おのおのぶんさんす)
永く無情の遊を結び(ながくむじょうのゆうをむすび)
相期す遥かなる雲漢に(あいきす はるかなるうんかんに)

月と、月明りでできた自分の影と自分の3人で飲むという詩だ。
(ようは一人飲み)

人間としてダメな感じがとてもすばらしい。でも、孤独というとてつもない人生の敵に対して、酒だけで向き合って、人生を謳歌できるってすごくない? 李白のように、酒を飲み、人生の悲哀を詩をかきつける人をかっこいいと崇めてきた。

酒は好きだし、飲んでいると、とても楽しい。でも、強くはない。結果、どちらかというと飲まれてきたと言っていいと思う。

昔からそうだが、食事をすると(特に炭水化物)眠くなる症状が、酒と一緒だと強化されて、すぐに寝ちゃう。1対1のサシ飲みでも寝ちゃう。寝ずに飲むために、あまり食事をしないで飲み続けると、次の日がつらい。酒が体から抜けないからだ。

酒での失敗は山のようにある。

飲んだ後の失敗エピソードは本当に数えられない。
「おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?」と言えるくらいには失敗している。

電車で乗り過ごしはよくある。ホテルも飲食店も何もない駅で降りると、目につかないところに移動して、朝まで眠るしかない。だいたいそういうところは、タクシーが全然来ない。路上で突っ伏して寝た回数は、人よりずっと多いだろう。

新宿で友人と飲んでいて、へべれけになった私をタクシーに乗せてくれて、当時、住んでいた「両国まで」と言ってくれたのに、気づいたら、チラシがたくさん貼られた壁が目の前にあって、テーブルには、ぬるいラーメンが置いてあったことがある。ぬるいラーメンを啜り終えて、店を出るとそこは新橋のラーメン屋だった。なぜタクシーを降りて、ラーメン屋に入ったのか理由がわからない。

記憶にないラーメン画像が、スマホのライブラリに入っていることは今でも割とよくある。

一体何があったか記憶にないが、駅員に蹴り飛ばされたことがある。駅の出入り口のシャッターに背中を預けて雨に濡れながら、4時間ほど座っていたことがある。


家での一人飲みでも、小さな後悔は日常に溢れている。酒に強くはないので、飲むと30分もすれば、読書ができなくなる。テレビからの情報も入ってこない。映画館でビールいっぱい飲む程度なら問題ないが、家で飲んでいると、30分くらいで読書も動画視聴もままならなくなる。

やりたいこと、できそうなことはたくさん目の前にあるのに、酒を飲んでしまったせいでできなくなることは多い。一人で酒を飲むと、お腹が空いて、コンビニに出かけ、つまみを買ってくる。最近はUber Eats も私のために存在してくれる。最近は減ったが、ネットショッピングで散財してしまうこともよくあった。いろいろ欲望に対する歯止めが効かなくなる。

失敗を重ね、時間やお金の無駄遣いをひたすらに重ねてきて、最近になって、「あれ? 飲まないほうがよくない?」という気分が作られてきた。

まだ本気ではない。だって李白に憧れているのだから。

でももし…、もし50歳になった時に酒を止めれて、70歳まで生きるとすれば、20歳から酒を飲んでいた場合には、人生で酒を飲んだ期間は30年で、酒を飲まなかった期間が40年と酒を飲まなかった時間のほうが長い人生になる。

まさか人生で酒を遠ざけることを考えるようになるとは!

以前、『禁煙セラピー』という本を読んで、禁煙に成功したことがある。

この本の特徴は、ひたすらにタバコの害を説くものだ。悪影響しかないよ、と言い続ける本で、科学的な根拠のある話ばかりではない。でも、そこまで言うならのっかってあげようか、という感じの本だ。

根拠がある話ばかりではないから、止める気がない時に読んでも効果がないだろう。

酒を止めようかと思った時、同じ著者の『禁酒セラピー』を思い出した。昔、気まぐれに買って、ちょっと読んで放置していた本だ。

今、『禁酒セラピー』を読む時が来たのかもしれない。

『禁煙セラピー』のほうも、読んですぐに成功したわけじゃない。止める気分を高めて、ちょっと止めてみて、また喫煙が復活する経験を何度もして、結果、何度目かのチャレンジで吸わない時期が長く続いているという感じ。もし、この先、酒のない人生を送るとすれば、これから何度も『禁酒セラピー』に立ち返ることになるだろう。


お酒を飲んでいるときは、飲んでいない時よりずっと楽しいし、酒があってこそ軽口もたたけるようになるし、つまらない話もちょっとおもしろく感じる。同じ話を何度しても楽しい。

酒がなくても、楽しい生活を送っている人もいるし、酒がなくても、話がおもしろい人もいる。酒無しに、宴席に参加する人も最近は増えてきた。

酒への未練はちょっとあるが、かなりあるが、、少し『禁酒セラピー』を読んでみようと思う。

息子と酒を酌み交わすという夢もあるんだけどなぁ…。

息子と飲むときだけ解禁しようか。もともと弱いから、飲まなくなると、てきめんに酒が飲めなくなるんだけどなぁ。飲めなくても、ちゃんと息子とおもしろい会話ができればそれでもいいかな…。

いよいよ『禁酒セラピー』を読むべき時が来たかもしれない。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。