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カレーの学校「儲かるカレー店のつくり方」(デリー田中源吾さん)

カレーの学校でも人気の講座「儲かるカレー店のつくり方」。
本日は「デリー」の三代目社長 田中源吾さんが講師。
定番のカシミールカレー、それを守り、攻める「デリー」の物語。

今日の「儲かるカレー店のつくり方」

人気のテーマだが、毎期、カレーの学校で、実施される講座ではない。
人気テーマなだけに、参加者枠に卒業生枠も設けられていて、今回はおよそ100名が聴講。場所は、外苑前のピースオブケイク社で行われた。

この日、カレーの学校のnoteが、新たに取得したドメインでオープンしたこともあり、ピ社の三原さんからnoteのご説明があった。

noteのご説明の後、田中さん登場。

「デリー」は、水野さんにとってすごく思い入れがある店だ。
水野さんがカレーを好きになるきっかけは地元浜松の「ボンベイ」。
高校生のころには、おこずかいを「ボンベイ」に使い、週一は「ボンベイ」に通うようになる。大学で東京に出てきたとき、困ったのは、「ボンベイ」がないこと。

「ボンベイ」の代わりになる味を探し求め、横浜、千葉まで足を伸ばすも、どこも「ボンベイ」には勝てず。唯一、湯島にある「デリー」だけは、まぁ、ここなら食べてやってもいいか、という感じだったそうだ。
(何度聞いても失礼な感想だ)

実は、その「デリー」こそ、「ボンベイ」のシェフだった永田さんが、修行された店舗。

今日は、水野さんが、過去に何度か「デリー」のことを取材したメモを引っ張り出し、改めて気になったことを田中さんに聞くスタンス。

(カレーの学校という閉じた場での講義だったので、一般に公開されていないと思われる情報は除いた)

定番のカシミールカレー

創業者は、小麦粉をつかったルーカレーが好きじゃなかった。のちにインド・パキスタンに駐在したときに食べたカレーを再現しようと思った。創業にあたり試作を繰り返し、やっと創業にこぎつけるが、なんと店のオープン時、結核のため、療養所にいたという。

その間、奥さまが店を守っていたが、当時は、派遣で都度やってくるコックが調理していて、カレー以外のメニューもあったという。ところが、療養所から出てみると、意外に繁盛していた。

そこから、本格的に、カレーでいける、という思いを新たにしたという。今のシャバシャバなカレーも実は、3年間の療養所生活のあと、だんだんとお客様の声を聞いて出来上がったものだそうだ。

そうやってできあがったカシミールカレーは、定番となる。
定番があるから、他のメニューで冒険もできる。定番があるから「デリー」は強い。

初代からが亡くなるとき、
「(材料や手間を)増やしておいしくするのはやめてくれ。減らしておいしくなるのはいいけど」
という言葉があったそう。

そこまで削ぎに削いでできあがったものということだ。

一口目がうまいカレーではない。でも、食べ終わった後の食後感をこそ、大事にしたカレーだ。

昔、「なんだこれ、カレーじゃねーじゃねーか!」と怒った客が、また来店したり。 首を傾げながら、2時間おきに3回入ってきてカシミールカレーを食べたお客様もいたそう(笑)

儲かるカレー店

三代目としては、
「(店を)つぶさない」
というところからスタート。すでに働くコックもいて、路頭に迷わせるわけにもいかない。

しかし、
・売れないときほど、いい素材を使う
・安易に流行に感じて真似することはしない
といった攻めの姿勢や、強さも持たれていた。

それより長く続いてきたと感じた理由は、初代、三代目それぞれ、商売が好きということ(二代目は初代の奥さま。店舗の運営、人心掌握に長けた方だったよう)。

初代は、レシピはつくるけど、厨房には決して入らなかったという。商売としてどう考えて、実行するかに重きを置かれてたから。三代目も元々は、学生のときからサザビー(現サザビーリーグ)に勤務して、商売を覚えた方。

初代のエピソードでは、お客様の滞在時間、回転、値付け、それぞれにしっかりした考え方をお持ちのようだった。商売にやりがいを感じる方が経営を続けていて、定番があるから、60年続いたんだろう。

水野さんは経営に興味がなくて
「田中さんと話してるとおもしろいなー、勉強になるなーとは思うけど、商売っておもしろいなーとはならない」
とは言ってたけど、おもしろいエピソードばかりだった。


あー、デリー行きたい・・・

カシミールカレーが食べたい・・・・


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