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明日の幸せを掴むため、誰かの願いは叶わなくなった

今、ある決断をしようとしている。いや、決断は済ませているので、それを実行しようとしているというほうが正しい。

それは、ある人の願望に沿っていて、ある人の願望を叶わなくする選択だ。すべての人の願望が叶わないことはみんな知っている。

身近な例では、夫婦水入らずで過ごしたい夫と、親と一緒に暮らしたい妻の両方の願いは叶わない。大きな話をすれば、戦争で他国を切り取りたい国家元首と、侵略を許したくない側の国民の願いは同時には叶わない。

同時に叶わない願いがあることは不幸な真実だろうか?


思い出す曲は、宇多田ヒカルさんの『誰かの願いが叶うころ』だ。

歌詞を見ると「願い」と「幸せ」を分けて考えている。

誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ

『誰かの願いが叶うころ』作詞・作曲: 宇多田ヒカル ©2004 宇多田ヒカル

友達同士が恋人を取り合ったのかもしれないし、浮気した親が子のもとを離れるのかもしれない。あの子と、もう一人の願いは同時には叶わない。

二番では、はっきりと

みんなの願いは同時には叶わない

『誰かの願いが叶うころ』作詞・作曲: 宇多田ヒカル ©2004 宇多田ヒカル

と歌っている。

でも、願いが叶う=幸せ とは言っていない。
叶わないから不幸になるとも言っていない。

自分以外の誰かを幸せにしようと考えると、

あなたの幸せ願うほど わがままが増えてくよ

『誰かの願いが叶うころ』作詞・作曲: 宇多田ヒカル ©2004 宇多田ヒカル

と歌っている。侵略しようとしている国家元首も実は、自国の国民、国の未来の幸福を願っているのかもしれない。そして、

自分の幸せを願うこと わがままではないでしょ

『誰かの願いが叶うころ』作詞・作曲: 宇多田ヒカル ©2004 宇多田ヒカル

とも言っている。そう、わがままであるはずがない。誰でも自分の幸福を希求する権利はあるはずだ。そうあってほしい。

でも、一つ一つの願いが一辺に叶うことはない。だから、

このまま僕らの地面は乾かない

『誰かの願いが叶うころ』作詞・作曲: 宇多田ヒカル ©2004 宇多田ヒカル

と歌っている。誰かの幸せを希求することは悪くない。でもそのための願いはすべて叶うことはない。流れる涙が止まることはない。

でも、きっと幸せになる方法はあるはずだ。


こういう時、思考の方法論の一つに、二者の願望の共通の願望、もっと大きな願望を取り出して、それを実現する方法を考える方法がある。でも、あれはトリックの一つだ。それでうまくいくこともあるが、そうならないこともある。仮に取り出した共通の目標が「世界平和」だったとしても、その途中で、人を不幸にする選択も出てくる。一つ一つの願望が叶わなくても、関係する人が幸せを感じる状況を作り出すことを考えるべきだろう。

私は、冒頭書いた通り、自分の幸せを希求するための判断をした。それは、関係する人の願いをすべて叶えるものじゃない。でも、関係する人を幸せにしたいと思っているし、そのための第一歩だと思っている。

選択をしたのは、今じゃなきゃダメだったが、一方の立場に立つと、できれば、今、その決断はしたくはなかった。私自身も今決断したことで、負荷を背負うことになった。でも、私も彼も彼女も幸せにするための判断をしたと思う。

この後できるだけ、彼と彼女の涙が落ちないように、日々、努めたいと思う。そのために自分が涙を落としてもいいと思うくらい彼も彼女もとても大事な存在だから。


いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。