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この夏は20年ぶりの大規模展をやってるマティスを見に行こう

マティス展に行ってきました!

マティス展|東京都美術館 (tobikan.jp)

20年ぶりの大規模展覧会だそうです。

美術館・博物館に行く時は、とにかく何かしら言葉にできるまではその場に居たいと思います。専門家ではないので、材料を見つけて分析するわけではありません。絵に詳しいわけでもないので、誰かに説明できるようなものでもなくていいのです。ただ「かわいい」と思ったら、何でかわいいのかを言葉にできるまで見ていたいと思います。「AよりBのほうが好き」と思ったら、なぜそう思うのか考えます。きちんとした言葉じゃなくていいんです。かわいいと感じるポイントを見つけて、その要素が入っている絵を「私はかわいい」と思んだな、という認識ができればいいし、「AよりもBが好き」という場合も、AよりもBのほうが色が多い、でもCのほうがBより色が多いけど、Bのほうが単色の占める割合が多くて統一感があるからだ、といったくらいで十分です。

お酒を飲んだ翌日は絵に集中できないので、やめたほうがいいと思いました。飲みすぎた翌日の土曜に上野の東京都美術館まで行き、12時30分に展示会場に入りました。

地下一階(フォービスム以前~第一次大戦期)

最初の部屋は、「自画像(1900)」からはじまります。見る角度によっては立体的で、飛び出すように見えますね。マティスは、後に人を縁取るような描き方をしますが、当時から対象を縁取る効果を模索していたんでしょうか。入り口は、フォーヴィスム(野獣派)が起きる前のマティスです。すでにフォービスムの萌芽とも言える色彩豊かな「サン=ミシェル橋(1900年ごろ)」も最初の部屋に展示されていました。マティスは、1869年生まれなので、この頃、30歳くらいですね。

その奥には、いわゆる美術に興味がない人でも抱くマティスのイメージの絵が並んでいます。「豪奢、静寂、逸楽(1904秋-冬)」「豪奢Ⅰ(1907夏)」があります。

「豪奢、静寂、逸楽(1904秋-冬)」はパレットで色を混ぜずに、キャンバスに直接色が塗られています。印象派でも見る、色彩分割という方法ですね。脳内で勝手に起きる相互作用の効果も含めて、色同士の相互作用で、全体を見せるような絵です。ただ、色彩分割という手法は、デッサンと色彩が衝突する課題を抱えていると、音声ガイドによる解説がありました。

「豪奢Ⅰ(1907夏)」は、下の侍女の背のまがりかた、かしずき方、薄い青色がいいですね。発表時、これは未完成だと酷評、非難もされたそうです。確かに私が学生時代に、あの状態で美術の課題に出したら、きっと美術の先生に怒られたでしょう。

展示作品の制昨年を見ると、年だけでなく、季節まで書いたものが多いです。作った時期がはっきりしているものでも、季節まで書かれているものをあまり知りません(これまで気づかなかっただけかもしれませんが)。最初の部屋には、1899-1901年、1900-1902年といった複数年を跨いだ作品もありました。一度世に出してから手をいれたのでしょうか。それとも制作にかけた年なんでしょうか。

いわゆるマティスの名前でイメージされる絵画を含めて、この後、マティスの良さってなんだろうと思い、フロアを何度も往復しましたが、やっぱり、形だと思いました。

「色彩の魔術師」と呼ばれているマティスに向かって、絵の素人が「あなたは形がいいよ」もないですが。日本人が好きそうな、かわいらしい形、さらにそれだけでなく、味のある形ですよね。特に人間を書いたものは、人間の本質を外さない形って、これなんだろうと感じさせてくれます。

色彩分割の課題とされた、デッサンと色彩の衝突にも苦労したでしょう。デッサンで「これ!」という形を見つけた後、色を付けるわけですから。どうしても違和感があったと思います。完璧なもの(形)を上書いて変えてしまうわけですから。

私は色彩も含めて「窓辺のヴァイオリン奏者(1918春)」が一番のお気に入りになりました。ヴァイオリンを持つ手の位置、人の形が実にいいです。空の赤はヴァイオリンと同じ木の色ですが、赤い空は遠くの戦火が映ってるのかもしれません。見ていると物悲しさも感じますが、それ以上に強さを感じる絵です。もくもくした雲の白の量と赤い空の色のバランスもとてもいいです。

45歳の時に描いた「金魚鉢のある室内(1914春)」もいいですね。全体の青がいい。街の建物のうすいピンクと金魚の赤(濃いオレンジ)の配分もいい。構図にも文句なんて1mmもありません。

彫刻の展示もありました。マティスにとっての彫刻は「補足の習作として、自分の考えを整理するため」に制作するといいます。

人物の胸像が並んでいましたが、特に「ジャネットⅣ(1911)」「アンリエットⅡ(1927)」はだいぶデフォルメされてますね。芸能人をデフォルメして描いた似顔絵のようです。モデルの特徴を誇張することで、その人らしさを表しているのかもしれません。どこを誇張すればその人とわかるか、どこまで誇張してもその人らしさを失わないか。

この階の出口付近の壁面には、制作年が違う「背中」群が並びます。

「背中Ⅰ(1909)」「背中Ⅱ(1913)」「背中Ⅲ(1916-1917)」「背中Ⅳ(1930)」

粘土で型を作って、石膏で型取りして、ブロンズを流し込む方法で作られたそうです。次の「背中」の作品は、最初の作品の石膏を削って形を変える。最初は、肉感的だった背中がだんだんと、人の特徴を失っていきます。背と太い背骨に変化していきます。人が壁に埋まっていき、石に溶け込んでいくようです。古代の洞窟にありそうですね。

音声ガイド(上白石萌歌さんの声)、ちょうど知りたい作品についていて非常に参考になりました。

一時間ちょっと見て、13時45分に上の階に移動。

一階(ニース~ヴァンス)

※この階は、撮影、SNS投稿OKのフロアです。せっかくなので掲載しますが、もし、掲載NGのものが見つかれば、削除します。

1920-30年代は、展示で見る限り、前の時代とは色使いが違います。1920年代といえば、50歳ごろですね。

赤いキュロットのオベリスク(1921秋)
グールゴー男爵夫人(1924)
石膏のある静物(1927)

前の時代からどういう変化があって、色でどんな表現を目指していたんでしょう? 前の時代より、展示してあるものは色が多い? それだけでしょうか?

「緑色の食器戸棚と静物(1928)」は色が多いわけではないかもしれません。ただ現実のモデルの対象物の色が少ないだけかもしれません。

「緑色の食器戸棚と静物(1928)」

同じフロアにあったさらに10年後の絵を見て、比べてみると、この時代は、色調に統一感がないように感じます。

このフロアでもマティスがとらえる対象の形に気を取られます。見たままではなく、静物もデフォルメされているように感じます。マティスは、物の本質的な部分を見ることがうまかったのでしょう。モデルの先にイデアを透徹しているようです。その中にあって、壺や花瓶は、石膏像は、実際の形に近いですね。マティスから見ても、あれは出来上がった形なんでしょう。本の形ですらデフォルメしてるのに。やっぱり立体的な造形があって、たどりつく形のとらえ方かもしれません。

でも、色は違います。表現方法を変えています。色彩分割のような方法も取るし、見たものを写し取ろうともするし、心象を捉えたかのような表現もあります。

第二次大戦後の作品は、色の軽妙さが、40歳代(1910年代)のマティスの印象に近いですね。展示されていた1920-30年代の絵のような色彩のちぐはぐさを感じません。現実の色より、ずっと統一感があります。

赤の大きな室内(1948春)
黄色と青の室内(1946)

15時少し前に、この階をあとにしました。

二階(1930年代の切り紙絵着手~1950年代の最晩年)

形こそマティスだという結論に至ったので、形を切り取るようになった最後のフロアは絵画作品のおまけなんかではなく、必見のフロアと期待して上がってきました。でも、このフロアに来て、わからなくなりました。あまりにも形がシンプルすぎます。

ほんとにこれがマティスの到達点なの?
人はこんな形をしてるの?

でも「軽業師(1952)」「オレンジのあるヌード(1953)」を見ると、マティスがこれまでとらえてきた形のように感じます。20点の図版からなる「ジャズ」にある「イカロス」「サーカス」も躍動感のある人間です。

これまでマティスは、デッサンで形を捉えて、そして、色を塗ってきましたが、切り紙は「色の中に素描する」と言っています。ここで初めて、色と形が行為の上で合一しているわけですが、、、ちょっと飛躍し過ぎていて、自分の中でこれがマティスの正解だとは思えませんでした。

もしかしたら、もうこの時期のマティスには、観察をすれば、イデア(モノの本質の像)が見えていて、イデアをデフォルメして描いていたのかもしれない… そんなことを考えて展示を見ました。

ロザリオ礼拝堂のデザイン、写真もよかったですね。燭台の上にいる金色のキリストの形、好きです。14の出来事が単一構図になっている絵もいい。明るいところで見ると神秘的な壁面も、暗くなると重みのあるシーンになります。

前にも増して、子どもが偶然、描けそうな絵が壁に描かれています。

ステンドグラスから入る光は、壁に写しながらも、この時代は、体力的な理由だけでなく、色を塗ると躍動感が薄れるから、色を塗らなかったのかもしれません。

答えが出せないまま、30分ちょっとうろちょろと二階を歩いた後、15時半に会場をあとにしました。

マティスについて

「色彩の魔術師」の色の秘密を知ろうと思っていましたが、「マティスは形」という考えを持って、会場を出ました。

一番のお気に入りになった「窓辺のヴァイオリン奏者(1918春)」のポストカードがなく残念でしたが、もし「窓辺のヴァイオリン奏者」のポストカードがあったら、他のグッズと合わせ買いして散財していたでしょう。なくてよかったんです、たぶん。

学生が夏休みに入る前に行こうと思っていたので、今、行けてよかったです。他の人の感想を読みつつ、時間が取れれば、もう一度、来てみたいですね。行く人はぜひ、自分の目で見て、自分で考えて、楽しんでください。


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