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雨がきらいじゃなくなった日のこと

写真家の幡野広志さんが最近出された本のタイトルがよかった。

『息子が生まれた日から、雨の日が好きになった。』

そう、息子が生まれた時からではないけれど、私も雨が降っても傘なんか気にしない息子を見て、雨で憂鬱な気分になることが馬鹿々々しくなった記憶があった。その時の写真(4歳)をひっぱり出してきて、つい、幡野さんの投稿にかぶせて、自分の息子の写真を投稿した。

それに幡野さんがコメントをつけて、さらにツイート(ポスト)してくれた。

「親の写真」という言葉を見て、なるほどな、と思った。その後、さらに幡野さんの投稿を見かけた。

そうそう、決してうまくはないだろう。息子を撮った写真を見直してみたけど、確かにうまくはないけれど、どれも愛おしい写真ばかりだ。

安全を確保してからiPhoneを構えるので、どれも似た距離になるし、「見て見て!」って顔だったり、集中してる顔、ポーズを取らせて自然さが失われたもの、と、すぐタイプ分けできそうな写真ばかりだ。時々、うまく、表情やしぐさが切り取れた写真は宝物だ。幡野さんの投稿を見て、すぐにこの写真をひっぱってこれたのも、いい写真が撮れた記憶とともにあったからだ。


何枚か息子の写真をひっぱってきてみた。今はSNSで顔出しをしていないので、後ろ向きの写真だけ。もう10歳になったので、この頃のかわいさは見られないが、息子がかわいい気持ちは全然変わらない。

これから何枚、息子の写真を撮ることがあるだろう。だんだんと少なくなっていくことは確かだろう。でも、すでに写真としてストックしてあるものだけで、もうお父さんは大丈夫。テレビ番組の収録に例えれば、撮れ高は十分にいただいた感じだ。ありがとう。まだ死なないけど、もう死んでもいいとさえ思えるよ。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。